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象の鼻「ミナトの原点」 31日に港湾労働者供養祭

横浜みなと新聞 神奈川新聞  2019年05月27日 10:58

1960年の横浜港。象の鼻の船だまりに、多くのはしけが浮かぶ(神奈川新聞撮影)
1960年の横浜港。象の鼻の船だまりに、多くのはしけが浮かぶ(神奈川新聞撮影)

 今からちょうど160年前の1859年に開港した横浜港に、2本の短い突堤が造られた。海外貨物を取り扱った東波止場が延ばされ、次第に湾曲したのが、横浜港発祥の地「象の鼻」(横浜市中区)だ。象の鼻地区は港湾荷役の“原点”であり、ミナトで働く全ての「港湾人」の心のよりどころとなっている。

 象の鼻が湾曲したのは、船だまりを利用する通船やはしけを北風から守るためとされる。71年に岩倉具視ら欧米使節団が海外視察に向かう際は、象の鼻から通船で沖合に停泊する蒸気船に乗り込んだ。94年に大さん橋の前身の鉄桟橋が完成するまで、象の鼻は横浜港の中心的な波止場だった。


「ポンポン蒸気」と呼ばれた通船に乗る港湾労働者=1965年、横浜港(神奈川新聞撮影)
「ポンポン蒸気」と呼ばれた通船に乗る港湾労働者=1965年、横浜港(神奈川新聞撮影)

 第2次世界大戦後は連合国軍に大さん橋や新港ふ頭が接収され、横浜港に大型貨物船が係留できる岸壁が不足した。そのため、貨物船が沖合に停泊してはしけを使った荷役作業が盛んに行われるようになり、接収を逃れた象の鼻が再び港湾荷役の中枢を担った。

 「昔は、象の鼻からみんな『ポンポン蒸気』に乗って沖に出ていったんだ」。横浜港運協会の藤木幸夫会長(88)が語る戦後横浜の光景には、象の鼻の描写が欠かせない。

 焼玉エンジンを備えた通船「ポンポン蒸気」に港湾労働者がぎっしりと乗り込み、沖合で待つ貨物船へと向かう。沖荷役は危険が伴い、時折、事故が起きた。沖で仕事中に亡くなった人がいると、その人の遺体が象の鼻に戻ってきた。

 「そのときには横浜港の関係者が全員、象の鼻にお迎えに行った。本当につらい思いをするという時代が長かった」。急な知らせを受けて駆け付け、号泣する家族の姿に何度も接し、なぐさめてきた藤木会長は「現在のミナトを築いた大勢の男たちの魂がこの広場にいて、横浜港を守ってくれている」と力を込める。


横浜港港湾労働者供養祭で献花する藤木会長=2018年6月、象の鼻地区
横浜港港湾労働者供養祭で献花する藤木会長=2018年6月、象の鼻地区

 象の鼻地区の一角には、高さ約3・3メートルの横浜港港湾労働者供養塔がある。1859年の開港以来、ミナトでの仕事に生涯をささげた多くの港湾労働者のみ霊をなぐさめるために1974年、同市中区の山下ふ頭に建立。2009年に開港150周年を記念してこの地に移転した。

 6月2日の開港記念日に合わせて例年、横浜港の発展に貢献した人たちの冥福を祈る「横浜港港湾労働者供養祭」が営まれている。開港160周年の今年は5月31日に催され、主催する横浜港運協会と横浜港湾福利厚生協会は多くの市民の参列を呼び掛けている。市民献花は正午~午後2時。問い合わせは横浜港湾福利厚生協会電話045(681)6751。


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