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波乱 平成の地域金融(上)
バブル後 業界に破綻の恐怖

経済 神奈川新聞  2019年05月14日 17:46

 「審査や与信のあり方で対応が不十分だったと厳粛に受け止めている」

 1999(平成11)年3月、東京・霞が関。公的資金による2千億円の資本注入を申請していた横浜銀行頭取の平沢貞昭=当時=が反省の弁を述べた。

 昭和末期から平成初めにかけて空前の好景気をもたらしたバブル経済が崩壊。多くの金融機関が不良債権の処理に追われ、体力低下に苦悶(くもん)した。

 「地銀の雄」と称され、県内経済を下支えする横浜銀も例外ではなかった。不良債権の重圧で危機に陥った経営を立て直すため、98年3月と99年3月に計2200億円の公的資金(劣後ローン計1200億円、優先株計1千億円)を受け入れた。

 バブル崩壊後の95年度、横浜銀は住宅金融専門会社(住専)向けなどの不良債権2700億円を一括処理したのに伴い、戦後初の赤字に転落。97年には北海道拓殖銀行が破綻し、山一証券が廃業した。県内では、多額の不良債権を抱え経営が悪化していた神奈川県信用組合が自主再建を断念している。

 「次はどこの番だ」

 金融界全体にえたいの知れない「恐ろしい空気」(横浜銀行大矢恭好頭取)が漂っていた。

 英ロンドンで銀行業務を止める前年の97年。欧州発で「浜銀破綻」の情報が流れる可能性すらあった。

 ベルギーの証券子会社を巡り、横浜銀ロンドン支店は、現地通貨建ての資本金の調達が極めて困難な事態に追い込まれていた。

身を切る経営改革

 「ベルギーフランで資金が取れない」

 1997(平成9)年秋。横浜銀行ロンドン支店のフロア中が騒然となった。

 青ざめた表情の現地スタッフが「円をドルに替えて出す」と投げ掛けるも、ベルギーの銀行は取引に応じようとしない。

 邦銀全体に対する警戒感をあらわにされたのだ。

 「とにかく出せ」

 横浜銀のディーラー統括担当者が先方の上席者に直接電話し、なんとか事なきを得た。

 バブル崩壊後の国際金融市場では、邦銀が資金を調達する際に上乗せされる金利(ジャパンプレミアム)が上昇していた。横浜銀もこの影響で、海外業務で収益を出したり、資金を調達したりするのが難しくなっていた。

 「それだけ邦銀が市場で信用されていなかったということ」

 支店閉鎖前後の時期にロンドンに駐在し、緊迫した状況を目の当たりにした浜銀ファイナンス会長の望月淳は振り返る。

 横浜銀の株価は当時200円割れが危惧される水準まで低迷。「日本は大丈夫か」と他行の駐在員とささやき合った。

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 「個人預金が純減する銀行はつぶれる」と言われたバブル後。横浜銀でも伸び率が鈍化していた。

 当時、本部で法人営業支援に携わっていた、コンコルディア・フィナンシャルグループ社長の川村健一は、緊張感が広がる中での一つのひらめきが忘れられない。

 横浜銀が1回目の公的資金を受け入れた98年、プロ野球横浜ベイスターズ(当時)の優勝機運にあやかった応援定期預金商品を思い付く。個人営業部門担当者に伝えると、これが大ヒット。2千億円以上のニューマネーが外から入ったことが、銀行がつぶれずに済んだ一因という。

 「いわゆる『喫煙所の交流』から飛び出したアイデア」と川村は謙遜するが、「それがなければ戦後初の純減に転じていた」。

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横浜銀行の従業員数の推移

 不良債権の重荷に崩れた横浜銀。公的資金の受け入れ後はいかに顧客の信頼を勝ち取り、金融機関として企業価値を高められるかが問われた。まずは東京や海外への進出といった拡大路線を改め、県内回帰を打ち出した。

 一方で公的資金を抱えたままでは国の管理下に置かれ、経営の自由度が制限された状態が続くことになる。このため、横浜銀はピーク時に約7千人いた行員をほぼ半減する大リストラを断行するまでして「身を切る」経営改革を急いだ。採用の抑制、取引先企業への出向、転籍などにより、横浜・みなとみらい21(MM21)地区の28階建て本店ビルは“空洞化”が進行。一時はテナントを募集する案さえ浮上した。

 厳しいリストラの断行と地域密着の金融サービスの展開に切り替えたことの2点が功を奏し、業績は急速に回復した。他行に先駆け公的資金注入前の96年から政策保有株式(持ち合い株)を売り続けたことも寄与し、2004年8月、計画より1年半前倒しで公的資金を完済した。

 だが、人事部長や法人部長などとして危機対応に追われた浜銀総合研究所会長の大久保千行の胸に去来したのは安堵(あんど)ではなかった。

 「ここからが正念場だ」

 ◇

 バブル崩壊後に表面化した巨額の不良債権の処理、リーマン・ショック、そして日銀のマイナス金利政策-。金融機関にとって平成は波乱に満ちた時代だった。公的資金を2回受け入れ、他行との経営統合も経験した横浜銀行の歩みを中心に振り返る。

 (敬称略)


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