1. ホーム
  2. 時代の正体
  3. 時代の正体〈503〉横田弘さんと相模原事件【3】 他者への想像力こそ 県立保健福祉大教授・臼井正樹さん

時代の正体〈503〉横田弘さんと相模原事件【3】 他者への想像力こそ 県立保健福祉大教授・臼井正樹さん

時代の正体 神奈川新聞  2017年07月28日 12:03

うすい・まさき 1977年に県庁に入庁し、県障害福祉課課長代理などを歴任。2008年度から現職。専門は障害者福祉。共著に「われらは愛と正義を否定する 脳性マヒ者横田弘と『青い芝』」(生活書院)など。
うすい・まさき 1977年に県庁に入庁し、県障害福祉課課長代理などを歴任。2008年度から現職。専門は障害者福祉。共著に「われらは愛と正義を否定する 脳性マヒ者横田弘と『青い芝』」(生活書院)など。

 【時代の正体取材班=成田 洋樹】障害者を否定的に見る優生思想は、私たちの日常に潜んでいないか。相模原障害者施設殺傷事件から1年、当事者とどう向き合うかがあらためて問われている。県職員として故横田弘さんと交渉の場で対峙(たいじ)した経験がある県立保健福祉大教授の臼井正樹さん(63)に聞いた。

不思議な連帯感


 横田さんが存命なら、事件を受けて「障害者はやはり殺される存在なのだ。当事者が主張し続けなければ、殺される側のままだ」と怒りの声を上げたと思う。

 横田さんたちの運動は1970年代から始まった。車いす利用者が川崎で路線バスの乗車を拒否されたことに端を発した「川崎バス闘争」では、77年4月に抗議行動でバスを占拠した。当時は乗降口に段差があり、車いす利用者がバスに乗るなんて考えられなかった。電車内で障害者を見かけることもほとんどなかった。

 横田さんたちの体を張った運動は80年代以降、県内駅舎へのエレベーター設置が全国的にも早い段階で順次進められ、90年には県による全国初の設置補助制度導入につながった。今では障害者だけでなく高齢者やベビーカーを利用する親子らにも役立っている。低床バスが街中を走るようにもなった。その源流には、横田さんたちの粘り強い運動があった。

 県障害福祉課課長代理だった98、99年度、横田さんとは福祉政策を巡る交渉の場で対峙した。私は当事者の要求の真意をまずは聞くことを心掛けた。権利を声高に主張するのではなく、人として普通の生活がしたいという素朴な要求が多かった。

 あるとき、横田さんたちの要求を受けて県庁内で調整したが合意形成できずに実現できなかった政策があった。私の力不足だった。横田さんにそのことを伝えると「要求の旗は降ろさないが、あなたが努力してくれたことは分かった」と言われた。信頼を得たようだった。公務員と運動家という立場は違えど、障害者の生活の質をいかに高めるかという思いでは一致していた。当事者と腹を割って向き合うことが信頼感を高めることになり、双方にとって納得できる結論が得られることが分かった。次第に不思議な連帯感が育まれていったように思う。

 ある交渉の後、私と脳性まひ当事者の渋谷治巳さん(61)が丁々発止のやりとりを続けていた際、横田さんは横でにやにやと笑っていた。私たちが腹を割って話し合っている姿がうれしかったのだろう。

施設間で連携を



 事件現場となった津久井やまゆり園の再建策が県で検討されている。最も大事なことは、当事者である入所者の生活の質をいかに高めるかということだ。それは、家族や職員をはじめ関係者の共通の願いだと思う。再建の行く末がどうなるか、すべての関係者が納得できる案にならないかもしれない。そのとき憎まれ役になるべきなのが、福祉行政の担い手である公務員だ。10年後ぐらいに「当時は不満だったが、あの時の県の選択は間違っていなかった」と言う声が関係者から1人でも出てくれば、公務員としての役割を果たしたことになるのではないか。

 事件を機に、施設の在り方にも注目が集まっている。特に指摘したいのは、障害者施設間の連携の乏しさだ。高齢者施設と比べたら、その傾向は顕著と言える。

 高齢者施設間では研修を重ねるなどして、高齢者の心身の状態に応じてどう支援するかなどの共通のものさしを蓄積している。日々の支援の仕方を互いにオープンにすることで、望ましい支援の在り方を共有している。職員のスキルアップにもつなげている。

 一方の障害者施設は閉鎖的で、連携の動きは一部にとどまっている。外部での研修があっても情報やスキルの共有が施設内だけにとどまる傾向が強く、職員が自分の仕事を相対化する機会が少ない。

この記事は有料会員限定です。

月額980円で有料記事読み放題/100円で24時間読み放題のコースも。詳しくはこちら


シェアする