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川崎中1殺害事件
「遼太とわたしだけが止まっている」母親が初めて語る葛藤

事件事故 神奈川新聞  2019年04月25日 10:00

 相反する2人のわたしがいる。遼太と一緒にいてあげないといけないと思うわたしと、ほかの子供たちのために、前を向いて生きていかなければいけないと思うわたし。遼太はあどけない13歳のまま、心にとどまり続けている。思い出にとらわれていては、生きている子供たちに申し訳ない。本当はずっと遼太の側にいてあげたい。でも、思い出にふたをしないといけない。生きていかなきゃいけないから。自分が2人いれば便利なのに――。川崎市の多摩川河川敷で中学1年の上村遼太さんが少年3人に殺害されてから4年。母親(46)が初めて取材に応じた。(神奈川新聞記者・川島秀宜、塩山麻美)


2013年のミニバス島根県大会地区予選で優勝して喜ぶ上村遼太さんと母親。「戻れるなら写真のときに戻りたい」と母は語る(遺族提供)
2013年のミニバス島根県大会地区予選で優勝して喜ぶ上村遼太さんと母親。「戻れるなら写真のときに戻りたい」と母は語る(遺族提供)

 今月で18歳になるはずだった。過ぎゆく歳月に、遼太さんとともに置き去りにされそうになる。

 長女、次女、三男はそれぞれ、小中高校に進学した。「みんな遼太を追い越していく。こんどは次女の番」

 かねて同居していた男性と1年半前に再婚し、「上村」を改姓した。家族全員が夫方に本籍を移せば、遼太さんは戸籍上からも消えてしまう。案じた長男は転籍せず、旧姓にとどまってくれた。火葬後も遺骨は依然、自宅にある。「わたしが死んだら一緒に埋めて」。長男に頼んだ。

 小中で打ち込んだバスケットボールのユニホームやシューズ、弁当箱に水筒、遺品は当時のまま、居間の見えるところに置いてある。ボールは四つも。トイレで燃やされ、神奈川県警に押収されていた事件当夜の着衣も引き取った。ほとんど炭化していたが、捨てられなかった。クリスマスのプレゼントで、遼太さんのお気に入りだったから。

 事件後から抗うつ剤と向精神薬を常用する。薬効に頼れば、どうにか4時間ほど就寝できる。一時は断っていたものの、再開した。「元気がないというか、かなり下のほうに沈んでいるんです。なかなかはい上がれなくて」。命日の前後、冬場はとりわけ気だるいという。

 3年余り前に始めた児童福祉の仕事は、子ども好きを再認させてくれる「救い」だったが、辞めざるを得なかった。被害者支援に役立つ資格を取ろうと入学した通信制の専門学校も続けられなかった。気力が伴わなかった。「いつか支える側に立ちたい」と願う。「でも、いまは生きているのがやっと」

 現場の河川敷を訪ねるつもりはない。これからも、きっとない。「あそこに特別な感情はないから」。呼び覚まされるのは、23・5メートルの絶望だけだ。カッターナイフで傷つけられ、着衣を脱がされ、多摩川を泳がされ、漆黒の川下からはいつくばって進み、そこで156センチの命は尽きた。母さん、助けて――。遼太さんの叫びが聞こえてくる。

 「いつか受け入れられる日がくるってみんな言うけど、楽になろうとすれば遼太に申し訳ない」。責め苦を引き受ける妻を気遣い、再婚した夫は多摩川を越えるとき、さり気なく現場を迂回(うかい)する。

 「マザコン」で、「親バカ」で、友達のようだった親子。もっと厳しく接すべきだったのか、育て方を誤ったのか、と一時は身もだえた。子どもたちは、生前からの溺愛ぶりを茶化(ちゃか)しながら励ましてくれる。感傷を笑いに高められる強さに触れると、すこし前向きになれる。「自分は間違っていなかったのかなって」

 2月20日は、悲喜がもつれる一日になる。遼太さんの命日で、三男の誕生日でもあるから。ことしもケーキで祝ったが、複雑な心境だった。供養に訪れる友人は年々、減った。時間は残酷だ。いつまでも悲痛を癒やしてくれないし、息子の残像を忘却に誘(いざな)おうとする。

 遼太さんが好きだったアニメは新装された。「みんな生きていて、先に進んじゃって。遼太と、わたしだけが止まっている」

 思い出のふたは、にわかには閉じられそうにない。いけないと、わかっていても。

 嘆息に紛れ、独白のように聞こえた。「ああ。遼太に会いたいな」

元少年2人、事件前に異変 加害側両親が見過ごした予兆


 加害少年3人は公判でそれぞれ、主犯の18歳(事件当時)が「A」、遼太さんを呼び出した17歳が「B」、同級生のAに凶器のカッターナイフを手渡した17歳が「C」と呼ばれた。

 いずれも同じ少年刑務所に収容され、服役中に成人を迎えた。幅広い職業に対応した総合訓練施設で、3人はそれぞれ別々の訓練科目を受講している。

 関係者によると、Aは職業資格を取った。2016年2月の横浜地裁判決後も、弁護人と面会を続けているという。記者は本人に手紙で近況を尋ねたが、返信はない。父親はことし2月、「話、ないっつーの」と取材を拒んだ。

 刑期が最も短いBは、一人親の母親が米国に移住し、祖母が出所後の身元を引き受けるつもりだ。代理人の弁護士を通じ、遺族に謝罪しているという。

 幼少から強者の暴力に屈服し、迫害感と劣等感を募らせたA。母親が同じフィリピン出身のAと「ハーフ同士の心の絆」(情状鑑定人)が芽生え、居場所や安らぎを求めて非行仲間に接近したB。

 2人の成育歴は公判でつまびらかになったが、Cの素性は、わからずじまいだった。上告が棄却されて傷害致死罪が17年1月に確定するまで、一貫して無罪を主張し、情状面が争点にならなかったからだ。

 記者は一連の裁判終結後も、Cの素顔を追った。AとC双方の両親が事件前、互いの子どもを疎ましく感じていた新たな事実が浮かんできた。


 関係者によると、Cは5歳上の兄と2歳上の姉をもつ末っ子。父親は川崎市内の鋼材製造工場の工場長だった。両親からの評価は「非常におとなしく、人見知り」。ただ、本人が納得しない事情があれば、かたくなに意思を通す息子だった。「優柔不断な子どもよりいい」と両親も誇らしく感じていた。

 小学校低学年のころ、その性格が裏目に出た。自席にとどまるよう体を押さえつけた担任教諭に、爪を立てて反抗したという。この出来事や同級生とのけんかで、母親は小中学校を通じて4~5回ほど学校に呼び出されている。

 事件直前に息子に表れていた異変も、両親ははっきりと認識していた。14年12月ごろ、Cは自宅マンションの玄関先で酔いつぶれ、警察官に起こされた。自力で歩けず、母親の肩を借りたという。両親は未成年の飲酒自体については注意したが、一緒にいた仲間はたださなかった。2カ月後、CはAの自宅で「焼酎のお茶割りを6~7杯」(Aの証言)飲み、Aに凶器を手渡して犯行を激化させた。

 Aの母親は、Cを「酒を飲んだり、悪い友達」と敬遠していた。事件数カ月前、酒に酔ったCを自宅に招いたAは、「連れてくるな」ととがめた姉をたたいた。家族に手を上げたのは初めてだったという。

 一方のCの母親も、Aは「やんちゃで、人様に迷惑をかける」と嫌っていた。Aが高校2年当時、Cの自宅マンションの玄関で消火器を噴射させたいたずらが契機だった。母親はCに「つき合わないで」と忠告したという。

 ただ、双方の両親も、2人を引き離すまで手だてを尽くさなかったばかりか、息子の飲酒や深夜の外出を黙認していた。保護者としての危機感は乏しく、事件の予兆を見過ごした。

 AとCは、一連の公判で真っ向から対立した。Cが遼太さんを「複数回切り付けていた」と証言したAに対し、Cは「うそをつかないでほしい」と抗弁。Cの主張は、16年6月の地裁判決で「不合理な弁解」と一蹴された。AはCを中学からの「親友」と呼んだが、Cは「特別仲がいいとは思っていなかった」と切り捨てた。



 川崎中1殺害事件 2015年2月20日に川崎市の多摩川河川敷で中学1年の上村遼太さん(13)の遺体が見つかり、7日後に神奈川県警は17~18歳の少年3人を殺人容疑で逮捕。3人は横浜家裁送致後に逆送され、横浜地検は殺人と傷害罪で主犯少年を、傷害致死罪でほか2人を起訴した。主犯を懲役9年以上13年以下、遼太さんを呼び出した少年を懲役4年以上6年6月以下の不定期刑とする1審判決が16年3月までに確定。凶器を主犯に手渡した少年は無罪を主張し、懲役6年以上10年以下とした1、2審判決を不服として上告したが、最高裁は17年1月に棄却し、全員が実刑となった。


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