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ヨコスカと空母・第3部
原子力空母(4)「原子力艦は安全」半世紀前からの布石

社会 神奈川新聞  2019年03月30日 17:39

 横須賀と米原子力艦の安全性を巡る議論の端緒は、半世紀前にさかのぼる。

日本への原子力艦寄港に関する照会に答える形で1964年8月、米政府が日本政府に書簡「エードメモワール」を通知していた。骨子は、①日本政府の意図に反する行動をしない、②安全確保へ広範囲な措置を取る、③燃料交換や動力修理を日本で行わない、④寄港目的は休養・補給―などだった。米国側は原子力艦の入港は日米安保条約に基づく事前協議の対象にはならないと強調しながらも、「日本国民の懸念を承知している」として、こうした文書をまとめたとしている。


原子力空母カール・ビンソンの初寄港時に実施された放射能調査=1984年11月、横須賀
原子力空母カール・ビンソンの初寄港時に実施された放射能調査=1984年11月、横須賀

 米最古参の原子力空母「エンタープライズ」の日本初寄港が取りざたされていた1966年5月、衆院内閣委員会でも、原子力空母の受け入れの是非をめぐる議論が白熱していた。

 国会でも鋭い追及で審議をしばしば紛糾させ「国会の止め男」とも評された社会党議員の論客、大出俊が、エードメモワールを引き合いに政府をただす。「日本国民は原子力に非常に敏感だと、米の配慮が書いてある。今(エンタープライズが)入るのは困る、と米に言えないのか」

 防衛庁長官の松野頼三が答弁した。「国民感情から原子力艦の入港は横須賀と佐世保に限定する。それがエードメモワールの趣旨だ」

 原子力艦の放射能漏れは公海の汚染を招きかねないため、防止設備のある港を寄港地に指定する必要があった。松野は後年、神奈川新聞の取材に、「当時は旧ソ連の原潜による日本の領海侵犯が頻発していた。けん制のためには、通常型よりも能力の高い米軍の原子力艦を入れないわけにはいかなかった」と振り返っている。

 米の抑止力への依存と被爆体験。ジレンマを抱える日本がエードメモワールに期待していたのは、原子力艦寄港に制限をかけることで国民の核アレルギーを緩和する効果だった。

だがその結果として、横須賀にとっては、原子力艦の拠点化に向かうレールが敷かれたことになる。

 1984年11月、「原子力空母が横須賀に初寄港する」との報道が出る。横須賀市は国に照会したが、外務省からの回答は「安保条約に基づき、日本政府として断る理由はない」。市長の横山和夫は「遺憾の極み」と寄港中止を求めたが、外務省は原潜のためのエードメモワールを準用して「水上艦でも安全性に確信を得た」と判断している。12月、原子力空母「カール・ビンソン」が、横須賀基地に巨体を着けた。

 米国防総省は1998年3月の会見でも、「将来の(原子力空母)母港化に対しては推進系統の整備実施が日本の懸念だろうが、それは米国でできる」と説明している。原子炉の修繕機能を日本に置かなければエードメモワールの規制から外れるとの考えが、この時期にはすでに示されていたといえる。

 2006年4月。横須賀からの約20人の視察団が、米サンディエゴの基地に入った。

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