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平成回顧
池子米軍住宅建設問題(下) 市民運動の“遺産”今も

社会 神奈川新聞  2019年03月28日 12:37

池子問題と関わってきた思いを話す小田鈴子さん =逗子市内
池子問題と関わってきた思いを話す小田鈴子さん =逗子市内

 「自分たちのまちのことは自分たちで決める」。1982年から94年にかけて12年間にわたり、池子米軍家族住宅建設に反対してきた逗子の市民運動。その根底に流れていたのは「市民自治」という考えであり、運動とともに市民一人一人が自らのありようを問い続けた。中核を担ったのは戦後の民主主義教育を受けた世代。池子問題を通して「市民自治」と「民主主義」を考える。

 「あの頃は、年間200日くらい議会を開いていましたから」。反対派市議として12年間活動し、後に副市長を務めた小田鈴子さん(70)は話す。

 あの頃とは、市内が「反対派」と「容認派」で二分されていた時期。12年間で市長選と市議選がそれぞれ4回あり、86年には約1カ月の間に市議会解散と市長解職の住民投票が行われた。両派が拮抗(きっこう)していたことも対立に拍車を掛けた。

◆ターニングポイント

 小田さんは今でもはっきり覚えていることがある。容認派市長の解職請求(リコール)のため、地域で署名集めをしていた時だ。

 「何でリコールするのかっていうことが、私の中で整理つかなかったんですよ。だって1軒1軒行って、相手に署名をくださいっていう時に、自分がちゃんとふに落ちていないと、人を説得なんてできないじゃないですか。池子問題が大きな課題だとは分かっていたけれど、別に当時の市長が不祥事を起こしたわけでもない。反対から容認に転じた政策変更をもってリコールするのはなかなか難しいぞと思ったので、『守る会』に電話したんです。そしたら富野さんが出られて、『これからは自分たちで歴史を作るんですよ』っておっしゃったんです。すごく印象的で覚えています」

 富野さんとは、市民運動の中心的存在だった「池子米軍住宅建設に反対して自然と子どもを守る会」で活動し、その後市長になった富野暉一郎さん(75)だ。その時は全く面識はなかったという。

 小田さんは生活クラブ生協で食の安全や環境問題を考える活動をしており、「自分の足元のことはちゃんとやらないと」という思いから、市民運動に関わっていった。そして自分たち世代を「戦後民主主義バリバリの人たち」とも表現する。

 「男女同権とか学んできましたよね。戦争のことも。結局、(戦争に)みんな賛成もしていなかったけれど、のまれていっちゃった。自分のところに何かが起きた時に、ちゃんとそのことを言わないと。その後、子どもに『どうしたの』って問われた時に、答えられない。それはいやだと思った。おかしいと思ったら、ちゃんと表さなきゃ、と強く思ったんです」

 富野さんと容認派市長の一騎打ちとなった84年の市長選。富野さんの当選が小田さんの「ターニングポイント」になった。

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