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平成回顧
池子米軍住宅建設問題(上) 認めるが歯止めつけ

社会 神奈川新聞  2019年03月27日 11:07

記者会見をする富野暉一郎市長=1989年9月
記者会見をする富野暉一郎市長=1989年9月

 神奈川は沖縄、北海道に次ぐ第3の基地県だ。在日米軍基地施設は県内12カ所に及ぶ。その一つが、逗子市と横浜市にまたがる池子米軍家族住宅地区。1982年に建設計画が浮上して以来、12年にわたって反対と容認で市内が二分され、その行く末は基地を抱える他県からも大きな注目を集めた。「池子の緑を守る」と市民が立ち上がってから30年余。そこから今、私たちが学ぶことは何か。97~99年に逗子市担当だった記者が、当時の関係者を訪ねた。

 春の池子の森は、まるで桃源郷のよう。深い緑がどこまでも広がり、ウグイスの声がこだまする。だが谷戸を歩くと、かつて民家があったであろう場所に草が生い茂り、戦時中に弾薬を運ぶ際に使ったのか、道には線路が残る。その明暗が心に重く響く。

 戦前、住民は旧日本海軍から立ち退きを迫られ、池子の森は弾薬庫になった。戦後は米軍が接収。一部返還はあったものの、池子住宅は今も約288ヘクタールに広がる。2014年、西側の約40ヘクタールの共同使用が始まり、市が維持管理する「池子の森自然公園」として、市民が立ち入れるようにはなった。

◆市民自治を貫いて

 1982年。池子の森に、米軍家族のための住宅1300戸を建設する計画が浮上した。緑を守るため、反対派市長として84年に初当選した富野暉一郎さん(75)はそれから8年、市民の「反対」の意思を国や県に伝え続けた。その間、富野さんが依拠していたのは、地域のことは地域で決めるという「市民自治」の考えだった。

 「市全体を正しく方向付けるのが市長の役割。自らの意思だけでなく、市民の願いや思いを受け止めた上で、最良の道を判断する。市民の意見を聞かないで何かを進めてしまうこと自体、あり得ないと思った」

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