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ヨコスカと空母・第2部
空母交代(3)インディペンデンス入港「第二のふるさと」

社会 神奈川新聞  2019年03月24日 17:08

 1991年8月10日。ミッドウェーが18年間にわたって配備された横須賀を去る日がやってきた。

 午前9時過ぎから、空母が係留された第12号バースで式典が開かれた。在日米大使館から参加した公使のウィリアム・ブリアーが、日本語で「横須賀の皆さんに母港を提供してもらい、水や食料の供給や家族の心の支えになってもらった」と、謝辞を述べた。

 式典には、市長の横山和夫も姿を見せていた。

 「あいさつする立場にはないが、案内状を頂いたので、見送りにきた。ミッドウェーとは市長就任以来の18年間の付き合い。いろいろなことがありましたな」。感慨深げな表情を浮かべた。離岸していく空母の甲板では、乗組員らが総出で「SAYONARA」の人文字をつくった。

 華やかなセレモニーとは対照的に、横須賀の街は平穏さを保った。1973年の初入港時に見られた反基地運動は影を潜めていた。

 だが、1974年のラロック証言や1981年のライシャワー発言など、たびたび指摘されてきたミッドウェーへの核持ち込み疑惑が晴れないままの交代でもあった。

 「(インディペンデンスを)歓迎はしない」。知事の長洲一二は9月10日の会見で、不快感を表明した。

 マルクス経済学専攻の研究者だった長洲は1975年の知事初当選以来、「革新自治体」の旗手として存在感を見せつけた。米空母インディペンデンスの横須賀入港に対しては慎重姿勢を崩さず、91年8月にも外務省を訪れ、外相の中山太郎に「二度にわたり見直しを含めた国の慎重な対処を求めてきたが、交代配備が現実のこととなり誠に憂慮に堪えない。世界が軍縮と緊張緩和の方向に動いている中で、今回の配備は極めて残念」と不満をぶつけている。

 会見で長洲は「安保条約は国と国との問題で、(県に)権限はない。しかし、『条約があるから』と安易に考えてもらっては困る」と強調した。


横須賀基地に入港する空母インディペンデンス=1991年9月
横須賀基地に入港する空母インディペンデンス=1991年9月

 その翌朝、横須賀には小雨が降っていた。市長の横山和夫は、市役所の屋上に立ち、入港してくるインディペンデンスを待ち構えていた。ミッドウェーに続いて、在任中に2隻目の空母入港に立ち会うことになった。

 午前9時前に、空母が沖合に現れる。横山は双眼鏡越しに眺めて、つぶやいた。「大きい。周りの船とは比べものにならないね」

 午前10時半ごろ、海上自衛隊のタグボートによる歓迎の放水を受けながら、インディペンデンスは横須賀基地の12号バースに接岸した。米軍、海上自衛隊関係者や乗組員家族ら約1500人が参加して、歓迎式典が始まった。

 「日米安保体制はアジア太平洋の平和と安定にとって重要。空母交代による第7艦隊の維持・強化を、政府は心から歓迎する」。外務政務次官の鈴木宗男によるあいさつに、空母艦長の大佐ロバート・エリスが返した。「ミッドウェーは18年前の日米の合意で、横須賀を第二のふるさとにし、日本の皆さんの友情で活躍したことを、私も聞いている。世界の安定のためにインディペンデンスも努力したい」


空母インディペンデンスの横須賀入港に対する抗議活動
空母インディペンデンスの横須賀入港に対する抗議活動

 その夜、横須賀基地のゲート前に広がる「どぶ板通り」は、ミッドウェーの出港以来、久しぶりににぎわいを取り戻していた。航空要員の米兵は「日本は快適。安全で街もきれいだ。今、日本語を勉強しています」。ミッドウェーからインディペンデンスに移った乗員は「ミッドウェーのほうがよかったな。インディペンデンスは広すぎて迷っちゃうんだ」と笑った。

 「地元との事前協議がないまま入港したことは、はなはだ残念に思っている」。横山はこう反応した。県知事の長洲一二も談話を出している。「日米両政府に誠意ある配慮を望んできたが、県民の間に高まっている数多くの不安が解消されないまま入港に至り、誠に憂慮に堪えない」

 市民団体は横須賀の海上で、空母配備に抗議するデモを繰り広げた。だが、ミッドウェーと18年間にわたって共存してきた市民には、慣れも浸透していた。

 「あんまり深くは考えていない。核のことは気掛かりだけど、考えても仕方ない」「基地があることが、もう当たり前になっちゃっているからね」。そんな声が、街から漏れていた。

(敬称略)


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