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ヨコスカと空母・第1部
配備前史(9)空母ミッドウェー、横須賀に入港

社会 神奈川新聞  2019年03月24日 17:15

 国家安全保障担当補佐官のヘンリー・キッシンジャーによる秘密和平交渉を経て、米国と南北ベトナムは1973年1月、パリ協定の締結に至る。ニクソン大統領は「ベトナム戦争の終結」を宣言した。同年3月には米軍部隊がベトナムから撤退していった。

 空母ミッドウェーは、ベトナムから米カリフォルニア州サンフランシスコ近郊の母港、アラメダに帰還した後、73年9月に新たな母港の横須賀に向けて出港する。


横須賀に入港する空母ミッドウェー=1973年10月
横須賀に入港する空母ミッドウェー=1973年10月

 このころ、横須賀の基地ゲート前に米兵向けの飲食店が軒を連ねる「どぶ板通り」の一角には、米本土に本部を持つ非営利団体「反戦ベトナム帰還兵の会(VVAW)」が「ヨコスカ支部」を構えていた。そこにメッセージが届いた。ミッドウェーに乗り組む「反戦GI」を支援しているアラメダの市民団体から、連帯を呼びかける通信だった。

 「ミッドウェーの母港化は(日本を)ベトナム戦争に引きずり込む政策の延長にほかならない。米政府のアジアに対する抑圧を許すことにつながる」

 市民グループは、届いたメッセージを紹介した機関紙をつくった。事務所の目の前にあったどぶ板通りで軍人たちに配り、空母配備反対を訴えた。

 ミッドウェーの横須賀到着は、10月5日の見通しとなっていた。9月下旬の横須賀市議会定例会本会議。空母母港化に関する姿勢をただされた質問に対して、市長の横山和夫はこう答弁している。「政府の安保条約に基づいて決定しているものを、自治体の首長が反対することにはなりがたい」。その一方で「核の持ち込みは非核三原則からしてもあり得ない」と、空母の核搭載には反対していく姿勢を強調した。

 国会でも論戦が続いた。同月の参院本会議で、「ベトナム戦争の後方基地ではなく戦略基地に横須賀が変質していく。母港化は白紙に返すべき」との野党の追及に、首相の田中角栄は「乗組員家族を横須賀に居住させる措置は、地元の同意を得て実施をされたものだ」と短く答えた。

 10月4日、横須賀市に正式な通告が入った。「5日、ミッドウェーが入港する」

 横山は、声明を発表した。「可能ならばこれを避けてもらいたいが現状はやむを得ないものと解している」「核持ち込み問題については絶対にあり得ないことを信じているが、万が一にもその懸念がある場合は、断固として入港に反対するものである」


米軍関係者や家族に迎えられる空母ミッドウェー=1973年10月、横須賀基地
米軍関係者や家族に迎えられる空母ミッドウェー=1973年10月、横須賀基地

 1973年10月5日の午後3時前。空には厚い雲が垂れ込めていた。

 巨体を現した空母ミッドウェーが、横須賀基地に接岸した。

 基地の岸壁では米軍人や家族が空母を出迎える。一方、基地を対岸に望む臨海公園(現・ヴェルニー公園)では、配備反対集会の参加者が上げる抗議の声が響いていた。

 市長の横山は空母の入港と引き換えに、基地の返還を米側に求める動きに本腰を入れていた。産業誘致の拠点化を狙った追浜の米軍制限水域の解除を、配備の容認と引き換えに得た前任・長野の路線踏襲ともいえた。

 同年11月、横山は米ワシントン近郊の国防総省に赴く。面会相手は、米海軍制服組トップの作戦部長エルモ・ズムワルトだった。

 横須賀市内にあった3カ所の米軍施設の返還を求めた横山に、ズムワルトは「具体的な利用計画で返還の意思表示をしたことを評価する。十分に検討する」と応じた。

 横山は自著で「部屋を出たときには全身の疲労を覚えた」と追想している。横山が求めた3カ所の米軍施設はその後、すべて返還が実現している。

(敬称略)


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