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ヨコスカと空母・第1部
配備前史(7)市長「原子力空母でないなら拒めぬ」

社会 神奈川新聞  2019年03月24日 17:13

 1972年秋。横須賀市議会定例会では、空母の母港化をめぐる論議が続いていた。

 ただ、それまで「空母の母港化は反対」と繰り返してきた市長の長野正義の答弁に、変化がみられるようになっていた。

 「空母の一部の家族が民間住宅を借りて住みたい、という意向を米側は持っている。これを母港化というべきかどうかという問題があると思う」「原子力空母は困る。それ以上の主張はできかねる」-。

 議会側はしびれを切らした。10月3日の本会議で、一般質問が飛んだ。「米空母の母港化を市長は認めるのか、認めないのか。イエスかノーか、はっきり返事を願いたい」

 長野はついに、こう答弁した。

 「(原子力空母の)エンタープライズは来ないなら、拒否するという理由もないじゃないか。こういう考えだ」

 空母の配備を実質的に容認する発言だった。これ以降、市議会での論議は激しさを増していく。

 「(空母が)1隻にとどまるなら、母港化という固定概念で考えないでもよいのではないか」。長野は説明したが、質問に立った議員は追及を繰り返した。「母港化を許すことと、制限海域の解除では重さがまるきり違う。交換取引の材料にされることは納得できない」


原子力空母エンタープライズ入港の反対デモ隊と警官隊=1968年、横須賀市内
原子力空母エンタープライズ入港の反対デモ隊と警官隊=1968年、横須賀市内

 このころ、ワシントンの米国務省からは東京の在日米大使館に向けて、空母配備に関する協議入りを求める指示が出されている。

 「日米安保問題や日本の外交政策に与える影響を熟慮し、タイミングを判断せよ」。国務省の公電には、田中角栄内閣が72年9月にこぎ着けたばかりだった日中国交正常化への配慮も浮かぶ。

 母港化構想の表現方法をめぐる言及もある。「敏感な日本の世論には『海外母港化』や『前方展開』より『長期配備』の言葉が、パラタブル(Palatable=口に合う)だ。不要な困難が生じるのは好ましくないので、この可能性をさらに減らすため、海軍は『第7艦隊家族居住計画』と呼ぶ案を検討中である」

 これを受けて在日米大使館に、日米の当局者が空母配備をめぐる協議をするために集まった。空母配備の実質的な地元への見返りが、検討案に上る。横須賀基地の艦船修理部(SRF)にあるドックの一部を日本側との共同使用とすることや、追浜の制限水域の返還などだった。

 こうして11月15日、外務省から横須賀市に「横須賀基地に関連する諸問題について」と題する意向の照会が届く。

 「通常型空母1隻の乗組員家族を市内および周辺の民家を借り上げて居住させる。原子力空母の寄港は考えられていない」「追浜地区の米軍提供水域の一部解除に関しては、日米合同委員会で、日本側提案通り一部解除に同意する旨の回答を得た」

 事実上の空母配備の正式通告だった。

 市議会は特別委員会を開いて、外務省からの意向照会を審議の題材に乗せた。意見は真二つに割れた。

 だが、その直後に県知事の津田文吾が「議会の同意付き」との条件を付けて長野の姿勢を支持する意向を示したことで、母港化に対する議論の流れは変わることになる。

 横須賀市は外務省の意向照会に対する回答をまとめた。「(空母母港化は)現状やむを得ないものとして了承する」「乗員家族の居住は、基地の恒久化、機能強化につながると危惧するものもあり、市民生活への影響を考慮願いたい」「原子力空母の寄港は将来にわたってもないよう特に配慮されたい」

 市議会定例会最終日の11月27日。革新系会派から出された母港化反対の意見書が採決された。結果は否決。1票差だった。

(敬称略)


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