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ヨコスカと空母・第1部
配備前史(4)最大の船渠「6号ドック」の価値

社会 神奈川新聞  2019年03月24日 17:11

米軍久里浜倉庫地区の返還式=1972年
米軍久里浜倉庫地区の返還式=1972年

 京急久里浜駅前の商店街を抜けると、ハイテク技術の工業団地「久里浜テクノパーク」と公園緑地「横須賀くりはま花の国」が広がる。ここは戦前に旧海軍の軍需部倉庫群だった。戦後に接収され、米軍基地「久里浜倉庫地区」となる。横須賀市は返還の要望を重ね、1971年12月23日の日米合同委員会で全面返還が決まった。

 だが国会ではこのころ、空母の横須賀母港化構想をめぐる議論も交わされていた。悲願だった基地返還が、空母の配備との取引に使われかねない-。地元には危機感が強まっていく。市と市議会は連名で国に「空母の母港化反対」を要望した。

 年明けの72年2月。横須賀の街の高台にある市文化会館が、1500人の市民で埋まった。「基地対策市民大会」。空母の母港化反対と、かねて市が求めていた基地艦船修理部(SRF)の早期返還が決議された。満場一致だった。

 「軍港として長い歴史を持っていた横須賀の街では画期的なことだった」。当時、市民団体「ヨコスカ市民グループ」に参加していた新倉裕史は振り返る。

 市長の長野正義も、市議会定例会本会議の施政方針演説で、SRFの返還に強い期待をにじませた。「空母の母港化など基地の増強は断じて取らざるところだ」とも強調した。

 横須賀のSRFには、合計で6カ所の船渠(せんきょ)がある。このうち最大規模を持つ6号ドックは、旧海軍が空母「信濃」を建造するために、丘を削って造った巨大なドライドックだ。基地の中にそびえる小高い丘の背中と海に挟まれ、今も市街地からは見えない。

 基地の縮小計画を盛り込んだ1970年の日米合意でも、もともと6号ドックは返還対象から外されていた。このとき、駐日米大使のアーミン・マイヤーは本国に宛てた公電で、「原子力潜水艦を収められる」「空母も十分使用できる」と、6号ドックの価値を重視していた。

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