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ヨコスカと空母・第1部
配備前史(2)「平和港湾都市」、幻の青写真

社会 神奈川新聞  2019年03月24日 17:09

 戦前に軍港として栄えていた横須賀市では、終戦後に旧軍関係者の離散が止まらず、人口が35万人から20万人に激減した。旧軍の資産は一部が米軍に占領されたが、残りの広大な敷地は放棄されたままになっていた。

 旧軍の資産を復興に活用し、軍港から平和産業港湾への転換を目指す-。横須賀市は旧軍港としての歴史を共有する呉、佐世保、舞鶴の3市とともに、こうした構想を描き、国に法整備を求める。議員立法され、国会で成立したのが「旧軍港市転換法」(軍転法)。無料や安価での資産譲渡や転用の優先権を定めた法だった。

 施行の条件として「住民の過半数の同意」が課された。横須賀では市民の87%が賛成し、軍転法は1950年に施行されて、現在に至っている。

 施行から20年後の70年5月。横須賀市は、米軍基地の返還や集約を求める要望書を国に提出した。「国防についてはよく認識するものの、市は平和産業港湾都市の使命を背負っている」と、あらためて強調した。

 日米が横須賀基地の大幅な縮小構想で合意したのは、その半年後だった。基地が返還されれば、発展への起爆剤になるかもしれない-。「興奮してその夜はまんじりともしなかった」。横須賀市長の長野正義は、回想録「横浜・横須賀六十年」で当時を振り返っている。

 だが基地縮小は雇用の縮小にも直結する。71年1月には、基地から日本人従業員に解雇通知が出された。長野は「市を挙げて離職者対策に取り組む」と会見で表明する。

 だが、両政府で大部分の返還が合意された基地の艦船修理部(SRF)の今後も、街にとっては課題だった。旧日本海軍時代から継承されてきた船舶の技術を、街の資産として生かすことができるか。運営のあり方を問われた長野は、市議会の答弁で大きな構想を描いた。「民間企業が経営し、現在の労務者をそのまま引き継ぐのが理想だ。SRFを軍転法で民営にする」

 横須賀は新たな街づくりに向けて、大きく踏み出していくかのようにみえた。

 だがほどなく、横須賀にはうわさが出回るようになった。

 米軍将校の夫人たちが、佐世保に移るのを嫌がっている-。

 「もちろん一笑に付すべきことではあろうが、市が(佐世保への)移駐後の対策として政府当局にいろいろ要望し、かつ提案してきたものについてはいまだに判然としたものが得られない」(長野著「横浜・横須賀六十年」)。なにがなしに空気が変わったことを、横須賀の街は感じ取っていた。

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