1. ホーム
  2. 社会
  3. 神奈川と平成 川崎・桜本 培われた共生と寛容

神奈川と平成 川崎・桜本 培われた共生と寛容

社会 神奈川新聞  2019年03月08日 18:32

自らの作文を収めた本を手に笑顔を見せるハルモニたち=川崎市川崎区の市ふれあい館
自らの作文を収めた本を手に笑顔を見せるハルモニたち=川崎市川崎区の市ふれあい館

 街の歩みを凝縮したような時間だった。1月16日、川崎市川崎区桜本にある市ふれあい館。在日コリアン1世のハルモニ(おばあさん)たちが心に降り積もった痛みを吐露していく。

 「食べていくのに精いっぱい。勉強なんてできなかった」「字が読めなくて、いい仕事に就けなくて」

 それぞれがつづった作文を収めた「わたしもじだいのいちぶです」(日本評論社)の出版を発表する集い。一編一編には識字学級で覚えた平仮名で半生がしたためられている。植民地支配下の朝鮮半島から海を渡り、差別と貧困の中、学校へ通えなかったハルモニ、バブル期に来日したニューカマー、南米出身の日系人たち。「みんな苦労したね」といたわり合う姿は、京浜工業地帯に引き寄せられた社会の周縁者が肩を寄せ、発展を下支えしてきた川崎市の縮図のような光景でもあった。

 桜本は特別な街だ。あいさつが「アンニョンハセヨ」と交わされ、地域の小学校ではハルモニやフィリピン出身の母親を先生役に、キムチづくりやフィリピン文化の体験が授業で行われる。「子どもたちは楽しい、おいしいという自然な感覚で違いを豊かさと受け止めている」。教員たちはそう口をそろえる。

 共生のまちづくりの中心に市ふれあい館がある。開館は平成の幕開け前年の1988年。民族差別の解消を目的に設置された全国初の公的施設で運営は社会福祉法人青丘社が担う。マイノリティーの子どもたちの居場所となり、学校と地域の橋渡しとなってきた。識字学級もここで始まった。

 2015年9月、ハルモニたちが戦争反対を唱えたデモもこのまちのありようを映し出す。チマ・チョゴリ姿で「子どもと若者を守れ」と連呼してバス通りを歩いた。「長年の差別で自尊心を傷つけられてきたハルモニが気持ちを表現するには、受け止めてもらえる安心感がなければできない」。識字学級のボランティア、鈴木宏子さん(86)は共生の取り組みの結実をそこに見ていた。

 戦争に巻き込まれ、不条理を誰より知るからこその訴えだった。同時に70年を迎えた戦後日本の醜態が浮き彫りになる。「従軍慰安婦は売春婦」「一人残らず出て行くまで真綿で首を絞める」。日本に盾突くなど許さないとばかりにヘイトデモが桜本を襲った。「ハルモニや子どもたちに聞かせるわけにいかなかった」。体を張って行く手を阻んだ地域住民の共通した思いだった。

 市内では排斥を唱えるヘイト団体の街宣が続く。差別禁止条例の制定を掲げる福田紀彦市長は「川崎市が培ってきた寛容性を高めていく必要がある」と語る。過去5年間で増えた市内人口5万6千人のうち外国籍が1万人以上。寛容を破壊するレイシズムを封じる条例は未来への礎としても求められている。

 近年、市内はラップにヒップホップと若者文化が花盛りだが、ブレークダンスチームの日隈正悟さん(33)は原点は桜本にあると言う。「体一つで表現するダンスに国境や民族の壁はない。そんなカルチャーを理解してステージを与えてくれた」。毎年、朝鮮半島に伝わる農楽「プンムルノリ」が披露される、やはり桜本ならではの商店街の秋祭りだった。

 〈いまさらかえれっていわれてもかえるところはありません〉〈子やまごに、そんないやなことばをきかせなくない。もう、そろそろやめにして、なかよくしましょうよ〉

 高齢となってようやく覚えた文字でつづられたハルモニたちの言葉が過去と未来を結ぶ。作文集をいとおしそうに手にした趙(チョウ)良葉(ヤンヨプ)さん(81)は言った。「差別の経験は子や孫にも話せなかった。いつか手に取ってもらうことを願って本棚に置いておく」。桜本では、ハルモニたちの生活史を地域の財産として記録、発信する試みが構想されている。

(2019.2.6掲載、石橋 学)

 ◆桜本地区 京浜工業地帯に隣接し、歴史的に在日コリアンが数多く暮らす。在日の人々は戦前から工業地帯造成や軍需産業に従事。戦後は高度成長を支え、バブル期以降はフィリピン人や日系人のニューカマーも増えた。1970年代から就職差別裁判支援や指紋押捺拒否、国籍差別撤廃運動など在日コリアンの人権獲得を目指す市民運動の中心地にもなった。


シェアする