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【原発避難訴訟判決】提訴5年、安堵と不満「賠償不十分」

社会 神奈川新聞  2019年02月20日 12:11

判決後、支援者らに「勝訴」を報告し、感極まる原告団長の村田弘さん=20日午前10時35分ごろ、横浜地裁前
判決後、支援者らに「勝訴」を報告し、感極まる原告団長の村田弘さん=20日午前10時35分ごろ、横浜地裁前

 東京電力福島第1原発事故の避難者訴訟で、横浜地裁は20日、東電だけでなく、国の責任も認定した。事故からまもなく8年、提訴から5年半。「大きな一歩」「賠償額が不十分」-。ようやく示された司法判断に、原告は安堵(あんど)と不満が交錯する複雑な思いをにじませた。

【動画】原発避難訴訟、国の責任認定5度目 地裁判決「看過しがたい過誤」

原告団長「賠償、あまりに少ない」 避難者救済を訴え


 「国の責任が明確に認められた。賠償額も基本的な部分は認められ、前進したと思う」。判決後、報道陣に囲まれた原告団長の村田弘さん(76)=横浜市旭区=はそう語ると感極まり、あふれ出た涙を拭った。一方で、事故から約8年を経てもなお古里への帰還は実現せず、闘いの終わりは今も見えない。
 


判決後、コメントする原告団の村田団長=20日午前10時35分ごろ、横浜地裁前
判決後、コメントする原告団の村田団長=20日午前10時35分ごろ、横浜地裁前

 村田さんが福島県南相馬市から次女夫婦を頼って横浜市内に避難したのは原発事故直後のことだった。大手新聞社を2003年に退職し、小学校から高校までを過ごした土地へ戻ろうと南相馬市小高区にある妻の実家に転居。荒れていた果樹園を再興し果物や野菜を育てるなど、定年後の生活を静かに送るはずだった。
 
 「事故を起こした加害者として謝罪するという態度が全く見えない」。原発政策を“国策民営”で進めてきた一方、古里を奪った当事者という意識の希薄な東京電力と国への憤りが募り、13年9月に第1次訴訟に踏み切った。
 
 周囲の求めに応じて団長職を引き受けた。先行きへの不安を抱えつつも、時に毅然(きぜん)とした姿勢が求められるだけに、「自分の気持ちをどう保つか、正直きついこともあった」。それでも原告仲間や支援者の協力もあり、「意地でここまでやってきた」と振り返る。
 
 東電と国を断罪した今回の判決の全てに納得しているわけではない。「我々は生活の基盤を全て奪われた。賠償額があまりにも少ない。1桁、2桁違う」
 
 16年に避難指示の解除された小高区の自宅には戻りたくても簡単には戻れないという。病院も週2回しか開かず、買い物も満足にできないからだ。追い打ちを掛けるかのように、神奈川県は自主避難者への家賃補助を3月限りで取りやめる方針を示した。避難生活は終わりが見えない一方で、取り巻く状況は年々厳しくなるという不条理に誰しもが直面している。
 
 だからこそ、安易な妥協と泣き寝入りは考えられない。「国には現在の『避難者いじめ』の政策をやめ、直ちに避難者の全面救済に責任を持って取り組むよう求めていきたい」

「大きな一歩」「賠償は不十分」 原告、複雑な胸中


 「勝訴」「国の責任5度断罪!」-。判決の言い渡しが終わった午前10時半ごろ、弁護団が垂れ幕を掲げると、横浜地裁前に集まった原告や支援者から大きな歓声と拍手が湧き起こった。カメラや携帯電話で撮影したり、抱き合って喜んだりする人の姿もあった。
 


記者会見に臨み判決内容を説明する弁護団ら=横浜情報文化センター
記者会見に臨み判決内容を説明する弁護団ら=横浜情報文化センター

 その後、原告側が近くの施設で開いた報告集会と記者会見には支援者のほか、千葉県や群馬県、京都府など他の避難者訴訟の原告らも駆けつけ、230席が用意された会場は満席で立ち見が出た。
 
 「私たちの気持ちが(裁判所に)少しは伝わったと思い、正直ほっとした」。1次提訴から原告として被害を訴えてきた小畑まゆみさんは安堵感をのぞかせつつも、「国と東電は判決を受け入れないだろう。まだまだ頑張らないといけない」と表情を引き締めた。
 
 原告の一人で福島県浪江町に実家のある岩渕馨さん(48)は「きょうの青空と同じような、すがすがしい判決が出た」と評価。ただ、賠償額については「請求に比べてあまりにも低い。これでは故郷を奪われた被災者は自立できない」と不満をあらわにした。
 
 原発事故を招いた国の責任を認めた判決は今回で5件目。弁護団事務局長の黒沢知弘弁護士は「国の法的責任が繰り返し断罪された。被災者らの切り捨てに等しい賠償政策の見直しを求めていく意味でも大きな一歩だ」と強調。控訴については、判決を精査して検討するとした。


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