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神奈川と平成・横須賀 回生の「基地観光」、街の今後は

社会 神奈川新聞  2019年02月08日 08:14

「どぶ板バザール」の一こま=2007年撮影
「どぶ板バザール」の一こま=2007年撮影

 米海軍横須賀基地前に300メートルほど伸びる通称「どぶ板通り商店街」(横須賀市本町)。ミリタリーショップ、アメリカンカジュアルウエア専門店、基地から提供されたレシピを基に作られたご当地グルメ「ヨコスカ ネイビー バーガー」…。週末にもなれば、日本と米国の文化が溶け合う雰囲気を満喫しようと、市内外から訪れた若者らでにぎわう。

 だが、平成が始まった30年ほど前。今では想像がつかないほど、閑古鳥が鳴いていたという。「静まり返っていた。街が死んでいた」。ドブ板通り商店街振興組合理事長の越川昌光さん(71)はそう振り返る。

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 どぶ板通りのある本町一帯の歴史をさかのぼった時、そこには海軍がある。

 江戸幕府によって設けられた製鉄所は造船所を経て、旧海軍が海軍工廠(こうしょう)として利用。本町は軍港街として栄えた。第2次世界大戦敗戦後、今度は米軍が接収。今の横須賀基地へとつながる。一帯も、駐留した米海軍によってその発展を支えられてきた。


どぶ板通りのバーでビリヤードに興じる米国人
どぶ板通りのバーでビリヤードに興じる米国人

 だが米軍の介入したベトナム戦争が泥沼化し、1970年代半ばから駐留する米兵が激減。迷彩服姿の兵士が夜な夜な集まる酒場も多く、昼とはがらりと表情を変える通りはもともと、日本人には近づきにくく、戦争の長期化とともに街は閑散としていった。

 「何とかしなければ」-。危機感から立ち上がったのは、越川さんら当時の若手商店主だった。

 通りを見回し、気付いたことがあった。立ち並ぶ店舗は米兵向けの商品が並んでいた。「日本にいながら米国を味わえる」という、歴史が醸成した街の雰囲気は保ちつつ、日本人にも足を運んでもらえる商店街づくりにかじを切った。

 30年続くフリーマーケット「ドブ板バザール」、米軍関係者の家族らが講師を務める英会話教室、米兵も出場するアームレスリング大会…。基地があるという特徴を生かしたイベントを次々と企画。10年前には、観光クルーズ「YOKOSUKA軍港めぐり」がスタート。「米海軍や自衛隊の艦船が間近に見られる」をうたい文句に、横須賀観光の“目玉”にまで成長し、通りの復活を後押しした。

 「スカジャンは、ここ『どぶ板』で誕生しました」。2018年2月には、虎や竜の派手な刺しゅうを背中に施し、今や世界でも有名なファッションアイテムが横須賀発祥であることをPRするイベントを開いた。越川さんは感慨深げにつぶやいた。「市中心部を巡る人の流れができた」

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 基地を観光の核に据え、にぎわいを取り戻した「アメリカに最も近い街」。その一方で、少子高齢化の波も全国と同様、例外なく押し寄せている。

 市の人口は1992年5月に43万7170人を数えたが、翌93年から下降線をたどり始めた。2010年には41万8325人と20年間で約1万5千人減に。そして昨年2月、41年ぶりに40万人を割った。

 「基地に頼らないまちづくりが必要だ」。そう指摘するのは市民団体「原子力空母母港化の是非を問う住民投票を成功させる会」の共同代表で、弁護士の呉東正彦さん(59)だ。

 15年に1万人を対象に実施したアンケートで、空母が基地に配備されていることに「反対」と答えた市民は49.7%に上った。さらに46%が、空母の安全対策を「不十分」と感じていた。住民の本音は空母配備に否定的なことが浮き彫りになった。

 「基地の観光資源化は、下を向く地域経済を食い止める力になってはいる」。そう言い、呉東さんは続けた。「ただ、本当の意味で『住んでみたい』と思ってもらうためには、基地ではなく、横須賀らしい産業を新たに創出すべきだ」

(2019.1.31掲載、山下 徹)


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