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神奈川新聞と戦争(83)1941年 乳幼児保健と愛国心

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神奈川新聞  2004年06月06日公開  

乳幼児保健会の結成を伝えた1941年10月3日の神奈川県新聞
乳幼児保健会の結成を伝えた1941年10月3日の神奈川県新聞

 空襲を巡る記事をひもときながら、同時代の思想を反映した事象にも分け入っている。前回までは、物資不足のため質素にならざるを得なかった生活用品が、肯定的な意味を含む「簡素美」の語で、むしろ再評価された過程を見た。

 そのルーツの一つは、京都の桂離宮を簡素な美しさの象徴として絶賛したドイツの建築家ブルーノ・タウトだった。建築史家の井上章一は著書「つくられた桂離宮神話」で、こうした考え方が広く受け入れられた背景に、戦時体制が進むにつれ高まったナショナリズムがあったと指摘する。

 国民の愛国心が高まれば、国家は次に、国民に貢献を求めるだろう。今回は同じ1941年の神奈川県新聞(本紙の前身)に掲載された記事に着目する。

 「興亜の赤ちやん護(まも)れと 生れる乳幼児保健会 四百の小児科医蹶起(けっき)」と題した10月3日の記事。傍らには「県民心得べし これが防空鉄則だ」の見出しがあり、来るべき空襲への備えを訴えていた。

 記事は、乳幼児保健会が結成されたことを伝えた。任務として、乳幼児の健診を指導し、健康や保育に関する調査研究を行う、とある。その目的こそ、戦争に資することだった。

 「人口国策の見地から乳幼児の体力向上は偏(ひとえ)に医師界に俟(ま)つべきものがあり、殊にこれが指導の立場にある小児科医の使命は一層重大化されてゐる」

 「人口国策」とは、同年1月に閣議決定された人口政策確立要綱を指すとみられる。戦争遂行とそのための生産人口の確保、植民地経営などのために、人口増加を目指す政策だった。「産めよ殖やせよ」のスローガンは有名だ。

 記事は、会の目的を次のように表現していた。「健康思想普及に積極的運動を開始し人的資源の涵養(かんよう)に邁進(まいしん)する」。現在も日常的に用いられる「人的資源」の語に、危うさが潜む。


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