1. ホーム
  2. 経済
  3. 神奈川と平成・箱根(1) ブランド、歴史をしなやかに

神奈川と平成・箱根(1) ブランド、歴史をしなやかに

経済 神奈川新聞  2019年02月03日 17:00

最多の観光客数を記録した1991年の箱根。当時、課題に挙げられていた交通渋滞は、近年は道路整備が進み、改善されている(91年6月23日付本紙掲載)
最多の観光客数を記録した1991年の箱根。当時、課題に挙げられていた交通渋滞は、近年は道路整備が進み、改善されている(91年6月23日付本紙掲載)

 古くから温泉場として開けた箱根。明治初期からは外国人も多く訪れた日本を代表する“老舗”の国際観光地だ。平成に時代が変わると時に厳しい場面に遭遇することもあったが、その都度、しなやかに対応してきた。その平成も終わる近年は、積極的な変化も模索している。

 「ゴルフ場がとにかく取れない。宿泊はゴルフ場(の予約)に強いホテルから押さえた」。箱根町観光協会専務理事で、昭和から平成に変わる時期にJTB小田原支店にいた高橋始さん(69)は、バブル期の箱根をこう振り返る。

 箱根温泉旅館ホテル協同組合事務局長で、当時は町職員だった川口將明さん(62)も、そのすごさを覚えている。「横浜の中堅企業が、名門ゴルフコースを貸し切りにして50組200人の得意先を招待する。当然、その後は宴会。1回のコンペで2千万円ぐらいかけていたけど、こういうのはざらだった」

 好景気の観光への影響は「遅く来て、引くのは早い」といわれる。バブル末期の1991(平成3)年、箱根の入り込み観光客数は2247万4165人と過去最高を記録した。現在でも破られていない。

 当時の箱根旅行は、昭和から続く企業を中心とした団体旅行が主流だった。企業の接待にもよく使われた。「宿泊客1人の消費する金額が現在とは違う印象。そのお金が箱根を回っていた」と川口さんは言う。

 当時のゴルフはすべての組にキャディーが付いた。大広間での宴会には芸者が勢ぞろいした。宿泊施設の従業員もほとんどが正社員だった。観光客による消費だけでなく、多くの雇用ももたらされた。

 そのバブルが崩壊-。だが同協同組合に40年近くいる次長の内田常夫さん(66)は「バブル前後で大きく変わったわけではない」という印象だ。確かにバブル期にかけて右肩上がりだった観光客数は、バブル崩壊後の98年には2千万人を割り込んだが、2007年には回復。以降はほぼ2千万人のラインを上下して現在に至っている。

 バブル崩壊の影響は、内部的な“構造変化”をもたらしていた。企業の業績不振や福利厚生のニーズ変化で、保養所や寮が激減。平成の30年間で3分の1になった。それに伴い、住み込んでいた従業員やその家族が町外に転出。少子化もあって、町人口は1989年の1万9790人から約8千人も減った。

 箱根旅行の形態も様変わりした。団体から個人にシフトし、料金のかからない素泊まりや日帰りをする観光客が出てきた。宿泊客数はやはり最高だった91年の556万3476人に比べ、約15%に当たる90万人近くが減少した。この間、全体の観光客数は5%程度しか減っていない。

 それに合わせて、宿泊施設側も柔軟に姿を変えた。かつては典型的な日本旅館だった所が素泊まりを始めたり、宿泊をやめて日帰り温泉施設になったりした。大ホテルも大広間を縮小して小部屋を増やし、近年では、閉鎖された保養所がリニューアルして少人数制の高級ペンション・旅館として開業する例も目立つ。

 旅館・ホテルの数は、平成の30年間を通じて200軒近くとあまり変わらない。閉鎖した軒数を新規オープン数が埋めている面はあるものの、内田さんには経営不振による宿泊施設の倒産はあまり印象にない。「箱根の2文字を背負えば何とかなる。箱根ブランドで多くのお客さんが来てくれる。対応力があれば、客層が変わってもやっていける」

 箱根ブランドはバブルの狂乱の中で輝いたが、その色を変え、今も輝きを放ち続けている。

(2019.1.24掲載、望月 寛之)


シェアする