1. ホーム
  2. 神奈川新聞と戦争
  3. 神奈川新聞と戦争(82)1941年 タウトが賞す簡素美


神奈川新聞と戦争(82)1941年 タウトが賞す簡素美

フォロー・シェアボタン

神奈川新聞  2004年06月06日公開  

 ドイツの建築家ブルーノ・タウト(1880~1938年)は30年代前半のごく一時期、商工省(経済産業省の前身)工芸指導所に在籍していた。彼の「すべてすぐれた機能をもつものは、同時にその外観もまたすぐれている」という信念と、戦時下の質素な工芸品を「簡素美」と捉え直した同指導所の価値観には、相通ずるものがあった。

 タウトが「日本史上における一天才芸術家の卓越した精神的業績」とたたえ、日本建築の神髄を見いだしたのが、京都の桂離宮だ。「ここに成就せられた至純な簡素こそ、日本精神を如実に表現するものである」と、著書「日本美の再発見」(篠田英雄訳、岩波新書)にある。まさに「簡素美」。そして、それこそが「日本精神」だというのだ(「過度の装飾」と対置したのが、中国風の日光東照宮だった)。

 日常生活が、高い精神性に結びつくというのが、タウトの考えだった。同書にある。「一方では日常の他奇なき生活が便利に営まれることであり、また他方では尊貴の表現であり、さらにまた第三には高い哲学的精神の顕露である」

 1930年代半ばの講演録を基にした同書にしばしば「モダン」という語が見られる。折しもコンクリートや鉄、ガラスのような工業製品が普及し、それらを用いた合理的なモダニズム建築の思想が世界的に広まっていた。合理主義と「日本的なるもの」の国家主義が、奇妙に重なった。

 「堅牢(けんろう)で便利な生活用品」。1941年10月9日の神奈川県新聞(本紙の前身)の見出しだ。変哲ないフレーズの背景には、4年にわたる日中戦争で窮迫した経済状況があった。同指導所でタウトの指導を受けた剣持勇(1912~71年)らが、簡素美の思想に沿って提唱した「戦時家具」は、物資不足を補い、日本文化の優位を誇示する格好の実践となった。


シェアする