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神奈川と平成・中華街 人をつないだ「親仁善隣」

社会 神奈川新聞  2019年01月28日 10:14

横浜中華街のシンボルとして「親仁善隣」の扁額が掲げられた善隣門。「平成」初頭、赤い電柱と黄色い看板が異国情緒を醸し出していた=1990年4月
横浜中華街のシンボルとして「親仁善隣」の扁額が掲げられた善隣門。「平成」初頭、赤い電柱と黄色い看板が異国情緒を醸し出していた=1990年4月

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 美食を求めて年間約2100万人が訪れる横浜中華街。横浜を代表する観光地のシンボル的な存在が、「中華街」と書かれた扁額(へんがく)を掲げる牌楼(パイロウ)の「善隣門」だ。

 裏の扁額は「親仁善隣」。横浜中華街「街づくり」団体連合協議会会長で老舗「萬珍楼」社長の林兼正さん(76)は、この言葉に格別な思いがある。

 「親仁善隣」とは「隣国や隣家と仲良くするという意味」。中国・春秋時代の歴史書「春秋左氏伝」の一節「仁に親しみ隣に善(よ)くするは、国の宝なり」に由来する。

 「全ての人と等しく親しく仲良くしよう」。中華街の店舗や住民が大切にしてきた“合言葉”だ。

 現在の善隣門は「平成」が始まった1989年に建て替えられた2代目だ。横浜博覧会(YES'89)が開幕し、バブル景気の後押しもあって中華街にも大勢の日本人客が押し寄せた。

 折しも、旧正月「春節」イベントが86年に始まったばかり。太鼓や爆竹の音が鳴り響く中で獅子や龍(りゅう)が舞う華やかな雰囲気に包まれる中華街は、異国情緒あふれる横浜のイメージそのものだった。

 実は、春節が始まるまで「中華街は失われた25年だった」と林さんは表情を曇らせる。72年の日中国交正常化を挟み、大陸(中国)系と台湾系の華僑同士が長らく対立していた。

 「イデオロギーがぶつかっているところにはお客さまは来ない。何とかしなければならない」

 伝統的な文化行事で中華街を一つにしようと、林さんら経営者らでつくる横浜中華街発展会のメンバーが働き掛け続け、ようやく春節の実現にこぎつけた。中国有史の偉人、関羽を祭った横浜関帝廟(びょう)の再建でも双方の華僑の面目を立てて協力を得た。対立から協調ムードへと変わってきた。

「新華僑」と生きる



 「親仁善隣」の精神は、近隣の商店街との関係強化にも生かされる。みなとみらい(MM)線が2004年2月に開業し、始発駅として元町・中華街駅が設置された。それまでバラバラだった山下公園通り会、元町SS会、そして横浜中華街発展会が「セントラルベイYMC協議会」を設立し、集客イベントの展開などで連携を始めた。「まず人間関係がなければ、難しい問題にも取り組むことができない」。呼び掛けた林さんはそう意義を語る。

 横浜港関係者との関係も重視しており、横浜港湾福利厚生協会が催した昨年11月の会合に講師として招かれ、中華街の歴史と「親仁善隣」に込めた思いを語った。

 今、林さんが最も関心を持っているのは、1980年代半ば以降に来日し近年台頭が著しい「新華僑」の存在だ。

 かつては公道を利用した不法なビラ配り、栗販売、露店などが相次いだことからルールの徹底を呼び掛けていたが、新華僑は中華料理店を続々と構えており、精肉店や青果店などにも進出するようになった。

 林さんによると、中華街ではこの5、6年だけで100軒近い店舗が閉店している。「同様の数の新華僑の店が進出していることが、シャッター通りにならない要因となっている」と明かし、新華僑とともに中華街の活性化に意気込む。

 初代の善隣門(牌楼門)は55年に建立。それまで日本人は「南京町」、中華街で暮らす人々は「唐人街」と呼んでいたが、「ChinaTown」の訳語「中華街」を掲げ、この街を一つにまとめた。

 「親仁善隣」の精神は新たな時代になっても忘れてはいけない。その思いは、横浜中華街発展会の加盟店が掲げる「We are ChinaTown」のマークに込めている。「中華街の文化を守るのは、中華街に関わる『私たち』全ての人です」

(2019.1.8掲載、三木 崇)


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