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神奈川と平成・曙町 風俗街、かつての「ギリシャタウン」

社会 神奈川新聞  2019年01月28日 10:13

平成が始まって間もなく、ファッションヘルスが急増した横浜・曙町。派手なネオン看板が街を照らした=1997年1月
平成が始まって間もなく、ファッションヘルスが急増した横浜・曙町。派手なネオン看板が街を照らした=1997年1月

 ギリシャの太陽神を意味する「アポロ」は、「ゴールドムーン」の看板を掲げたファッションヘルス(個室マッサージ店)の隣にあった。

 太陽と月-。日本最大規模のファッションヘルス街とされたこの町がたどった歴史を象徴するかのようだ。

 鎌倉街道と呼ばれる国道16号が走る横浜市中区の曙町。夜になると、通り沿いのファッションヘルスのネオンや看板が派手に輝いている。白亜のパルテノン神殿を模した外観の小さな建物の2階がパブレストラン「アポロ」。マスターの石原清司さん(80)が笑顔で迎えてくれた。

 開業したのは1964年10月1日。前回の東京五輪が開幕した月で、東海道新幹線が開業した日に当たる。常連客から「チャンさん」と呼ばれている石原さんは「半世紀前は、横浜に来たギリシャ人船員を相手にしたバーが30店舗ほどあった」と話し、付け加えた。

 「この街に毎晩ギリシャ人が集まり、『ギリシャタウン』と呼ばれていたんです」

 横浜最初のギリシャ・バーは、52年ごろに開店した「スパルタ」(現在は閉店)。アポロの1階にあった。ここで石原さんは18歳からボーイとして働いた。

 コンテナ船の時代を迎えた60~70年代になると、ギリシャ人船員が30人も乗った従来の貨物船は次第に役割を終えて横浜港から消えていく。スパルタをはじめ、曙町の至る所にあったギリシャ・バーは相次いで閉店。石原さんは日本人客向けのレストランとしてアポロを切り盛りするようになった。

 ファッションヘルスが急激に増え始めたのは、「平成」が始まって間もない93年ごろ。最大80超もの店が林立するようになった。

街の名を守った



 立地の理由は、県の風営法条例の「抜け穴」だった。従来は病院や博物館、公園などの周囲200メートル域内での営業が禁止されているが、曙町や近接する若葉町などはこの禁止地域の指定から除外されていた。

 巨大なネオン看板を派手に点灯していたため、近隣マンションの住民は「ネオン公害」で安眠が妨害された。道路には捨て看板があふれた。

 古くからの住民は「なぜ、こんな街になってしまったのか納得できない」「我慢の限界だ」と反対の声を上げた。

 97年5月、県警は条例改正案を提出し、県内全域で風俗店の新規出店が禁止になった。改正直前には駆け込み出店する動きが活発になるなど、混乱が続いた。

 鎌倉街道とイセザキ・モールの間の裏通りは戦前から、遊郭の名残で「親不孝通り」と呼ばれている。往時は青果、精肉、豆腐などの生鮮・加工食品を扱う商店が並んだが、風俗店の街の印象が強くなってしまったため次々に廃業した。

 親不孝通りの通称を「ファッション通り」に変えようと風俗業者が動きだした。住民とともに反対運動を起こした石原さんは「この辺りはみんな嫌がらせを受けた。ガラスを割られたとか、うちなんかシャッター前にごみを置かれた」と振り返る。それでも「名前を変えないで」と訴え、撤回させた。

 曙町界隈(かいわい)はかつて、政府が売春を管理した「赤線地帯」だった。遊郭は火事により場所を転々とし、最終的には1957年の売春防止法の施行で消えた。

 一方、大岡川に沿った京急線の高架下などに密集していた黄金町のちょんの間街は非合法の売春地帯だったが、県警など官民による「バイバイ」作戦で2005年に壊滅した。

 石原さんは言う。「混乱した時代も、この街を見捨てずに通ってくれた人々のおかげで店を続けることができた。アポロは私の“恋人”。来年の東京五輪・パラリンピックもこの街で迎えたい」 

(2019.1.7掲載、三木 崇)

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