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聴覚障害21歳の死、教材に 二宮町立小中学校

社会 神奈川新聞  2019年01月27日 00:41

昨年10月に亡くなった秋澤瞳さん(遺族提供)
昨年10月に亡くなった秋澤瞳さん(遺族提供)

 聴覚障害者で海外留学の夢を追い続けながらも、昨年10月に交通事故に遭い21歳で亡くなった女子大学生の生涯が、二宮町立小中学校で子どもたちに長く語り継がれることになった。「彼女の生きた証しを残したい」と遺族や知人らの働き掛けで道徳の授業での教材作りが進められ、15日には初めての授業も行われた。一生懸命、生きるということは-。夢半ばで散った命が重い問いを子どもたちに投げ掛けた。


昨年10月に亡くなった秋澤瞳さん(遺族提供)
昨年10月に亡くなった秋澤瞳さん(遺族提供)

 亡くなったのは同町出身で城西国際大学3年生だった秋澤瞳さん。2歳の時、医師の診断で耳が聞こえないことが分かったが、母の洋子さん(51)は「障害があっても周りと同じように育て、甘やかさない。いずれは健常者の中で生きていくことになる」と絵画や習字、音楽と触れ合うリトミックの教室などに瞳さんを通わせた。

 県立平塚ろう学校に通っていた瞳さんが「大学で勉強したい」と口にしたのは中学3年の時。「まずは手に職を」と考えていた洋子さんは驚いた。聴覚障害者に十分なケアを行う大学は限られていたが、農業を営む父の影響で「古里の環境を守り、福祉を充実させる仕事がしたい」という瞳さんの意志は固かった。

 手話通訳者のいる同大の千葉県内のキャンパスへは片道2時間以上。障害のある瞳さんの1人暮らしに不安もあったが「いずれは1人で生きていかなければいけない」と送り出した。大学では多くの友人に恵まれ、学問に励む傍らで両親の負担を減らそうと高齢者福祉施設で週3回、洗濯や料理などのアルバイトで汗を流した。

 3年生になるとさらに環境と福祉を学ぼうと、スウェーデンのストックホルム大学への留学も希望。現地での見学も終え、今年4月からの入学も決まった。しかし、期待に胸を膨らませた矢先に悲劇が襲った。

 昨年10月、千葉県内の横断歩道を自転車で渡ろうとした瞳さんは軽ワゴン車にはねられた。耳の聞こえない瞳さんは赤信号で進入する車両に気付くことができなかったとみられる。

 葬儀を終えて間もなくだった。「瞳が生きていたということを残したい。力になってほしい」。瞳さんが幼少期に通ったリトミック教室主宰の一色由利子さんを訪ねた洋子さんが泣きながら訴えた。

 幼い頃、耳が聞こえないにもかかわらず誰よりも目を輝かせ、音楽に合わせて体を動かしていた瞳さんの姿を一色さんは今でも忘れられない。「芯の強い子だった。自分に何かできることをしたい」と瞳さんの生涯を紙にまとめ、町教育長に直談判。道徳の授業で子どもたちに瞳さんの人生を伝えることになり、一色さんと交流のあった町立山西小学校の松本雅志校長が授業用の資料作りを進めた。


「一生懸命」に生きた秋澤瞳さんの人生を振り返り、命の重さを児童に伝える松本雅志校長=二宮町立山西小学校
「一生懸命」に生きた秋澤瞳さんの人生を振り返り、命の重さを児童に伝える松本雅志校長=二宮町立山西小学校

 生き続けるともしび-。そう銘打った小学6年生を対象にした道徳の授業が今月15日、同校で行われ、教壇に立った松本校長が児童に語り掛けた。「一生懸命、生きるとはどういうことでしょうか」

 ハンディキャップにも挫折することなく、ひたむきに夢や目標を追い続けた瞳さんの人生は児童の心にも響いた。「耳が聞こえないからこそ周りに助けてもらうのではなく自分で頑張ろうとしていたと思う」「一生懸命の大きさが違う。本当に人生をかけて一生懸命だった」。難しい問いに向き合った児童たちが次々と感想を口にした。

 同校では今後も6年生の道徳の授業のテーマとして扱っていく。他の町内4小中学校でも来春以降に授業を行っていく予定という。洋子さんは「志半ばで命を絶たれ、瞳もきっと悔しいはず。勉強ができ、食事ができる。当たり前のことの幸せを子どもたちに感じてほしい」と訴えた。


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