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神奈川新聞と戦争(81)1941年 欠乏を美意識で補う

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神奈川新聞  2004年06月06日公開  

国民生活用品展覧会の開催を報じた1941年10月9日の神奈川県新聞
国民生活用品展覧会の開催を報じた1941年10月9日の神奈川県新聞

 1941年10月9日の神奈川県新聞(本紙の前身)にある「堅牢(けんろう)で便利な生活用品展」と題した小さな告知記事は、簡素であることと美意識を結び付け、戦時下の物資欠乏を補おうとする思想をはらんでいた。

 記事は、東京の日本橋高島屋で「国民生活用品展覧会」が開かれることを伝えたものだ。金属が軍需物資として兵器製造などに回されていた状況下、木材など代用材料を用いた頑丈、かつ便利な「実用簡素で合理的な生活用品」を広める目的で、商工省(経済産業省の前身)が主催した。

 出品された「新案」の家具や玩具を、記事は次のように紹介した。「独楽(こま)の理論を応用してゼンマイなしで走る自動車や、物を叩(たた)きたがる子供の本能に適した『ハンマー叩き台』等の傑作の他木製バケツ、金属部分品を木製化、竹製化した机、椅子タンス等」

 展覧会について、学会誌「デザイン学研究」60号所収の敷田弘子の論文「戦時体制下の商工省工芸指導所における機能主義と〈簡素美〉」が解説する。会場には「簡素の美」と題した展示があり、「展示壁面には『寧(むし)ろ装飾がない処に』『機能に忠実であれば』などと記され」、展覧会の趣意書には「国民生活の具たる生活用品も亦(また)実用簡素なるものたらしめることが肝要」とあったという。

 商工省は30年代から、増加しつつあった都市生活者に向けた簡素で機能的な家具の量産を模索していた。主導したのが、同省傘下の工芸指導所だった。所員には、後に国際的なデザイナーとなる剣持勇(1912~71年)がいた。

 後に剣持は、用途に適し丈夫、経済的で、簡素な形の「戦時家具」を提唱。敷田は「『簡素』を造形の在り方として肯定的に捉える〈簡素美〉という視点」が確立した、と指摘する。

 剣持を指導したのは、京都の桂離宮の「簡素さ」を激賞したドイツの建築家ブルーノ・タウト(1880~1938年)だった。


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