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神奈川と平成・みなとみらい(中)明治の遺産がシンボルに

社会 神奈川新聞  2019年01月22日 10:11

みなとみらい(上)「モノクロの世界がカラーに」
みなとみらい(下)次世代に託す未来

 ミナト横浜に、風をはらんだヨットの帆の形をした建造物がよく似合う。横浜・みなとみらい21(MM21)地区の先端で象徴的な景観を醸し出すのは、ヨコハマグランドインターコンチネンタルホテルだ。

 その隣にはクイーンズタワーが3棟並び、海から陸へと緩やかに上昇する。その先には、長らく日本一の高さを誇った横浜ランドマークタワーがそびえ立つ。
 


建設中の横浜ランドマークタワー。麓には移設整備中の第2号ドックが見える。手前は帆船日本丸と第1号ドック=1991年12月
建設中の横浜ランドマークタワー。麓には移設整備中の第2号ドックが見える。手前は帆船日本丸と第1号ドック=1991年12月

MM21地区の中核をなす高さ296・3メートルの超高層ビル。この地はかつての造船所で、麓には、日本に現存する最古の石造りドックが2基あった。旧・横浜船渠(せんきょ)(後の三菱重工業横浜造船所)の第1号ドック、第2号ドックと呼ばれていた。

 一般の立ち入りが制限された造船所にあって「横浜の隠された遺産」と驚きを表したのは、のちに横浜市企画調整局長として故・飛鳥田一雄元市長が1965年に発表した「六大事業」を推進した故・田村明さんだ。

 横浜の水道や港湾を設計した英国人技師ヘンリー・S・パーマーが基本設計を担い、いずれも明治期に完成した。石は真鶴周辺の相州堅石を積み上げたもので、1923年の関東大震災でもびくともしなかったという。

 1号ドックは、MM21地区の開発が始まった85年に市が「日本丸メモリアルパーク」として整備した。横浜が誘致に成功した帆船日本丸を公開するため、水を張った状態で保存されることになった。

 一方、隣接する2号ドックは横浜博覧会(YES'89)の会場にあたるため、89年の開催前に埋め戻された。しかし、閉幕後も掘り起こす動きがない。

「掘り起こして活用を」



 横浜を拠点に都市デザイナーとして活躍しはじめていた山手総合計画研究所(同市中区)代表取締役の菅孝能さん(77)は、ミナトの遺産が隠されてしまうことが不満だった。

 当時、市の係長だった都市デザイナーの故・北沢猛東大教授に

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