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神奈川と平成・みなとみらい(上)「モノクロの世界がカラーに」

社会 神奈川新聞  2019年01月22日 10:03

企業や自治体などが趣向を凝らした33のパビリオンが出現し、親子連れで連日にぎわった横浜博覧会=1989年
企業や自治体などが趣向を凝らした33のパビリオンが出現し、親子連れで連日にぎわった横浜博覧会=1989年

 「平成」が幕を開けた1989年。横浜・みなとみらい21(MM21)地区に立った少年は、そのまぶしさに心躍らせていた。色彩豊かな街並み、初めて目にする技術の数々。目に飛び込む全てが新しい。光り輝く未来を思い描き、自身の明るい将来を重ねた。

 MM21地区のお披露目を兼ねて、191日間にわたって開催された「横浜博覧会(YES'89)」。時はバブル景気真っ盛り。華々しく開幕した3月25日を境に、異国情緒あふれ夜霧が似合う港町から、流行の先端を走る未来都市へと変貌を遂げようとしていた。

 博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して催された。企業や自治体が33館のパビリオンを出展し、20カ国・地域が参加。開幕直後から市民らが大挙として詰めかけ、入場者数は国際博覧会並みの1333万7千人を記録した。

 三菱グループが立体映像を上映したパビリオン「三菱未来館」の入場を待つ長い列で、少年は期待に胸をふくらませていた。当時中学3年生の小山慶和さん(44)=横浜市磯子区=は、宇宙へと飛び出してゆく迫力あるコンピューター・グラフィックスの画面に言葉を失った。

 JR桜木町駅から会場までは、当時珍しかった「動く歩道」が新たに整備された。小山さんは大勢の人に前後を挟まれながら「会場に向かうまでのアトラクションとして乗っていた」。

 それまでの桜木町は三菱重工業の造船所で働く「労働者の街」という印象が強く、小山さんには近寄りがたい雰囲気があった。それだけに、色とりどりのパビリオンが並ぶ横浜博の会場で見た最新技術に胸が高鳴り、「モノクロだった世界が突然、カラーになったような感覚」。ものづくりの素晴らしさに触れて、高揚感を覚えた。

 横浜博終了後、MM21地区の大規模開発が始まった。臨海部では港や海を彷彿(ほうふつ)させる斬新なデザインの建築物や街路が整備され、都市型観光地として華やいだ雰囲気に包まれていった。

 長らく米軍に接収されていた新港ふ頭だったが、横浜冷蔵倉庫(中区新港町)が94年に返還。臨海部の開発が加速し、戦後横浜に色濃く残っていた「フェンスの向こうのアメリカ」のイメージは薄れていった。

 昭和から平成へと移る激動の時代。小山さんは造船所から横浜博、そしてビジネス都市へと街が生まれ変わる場面に立ち会うことになる。

 小山さんは横浜博の開幕と同じ89年に完成した横浜ベイブリッジに感激し、巨大な構造物を作りたいと三菱重工業横浜製作所(横製)に入社した。念願かなって横浜ベイブリッジ下層の国道357号部分の構造に関わる製作に携わり、その後、社内報を担当。資料調査や関係者への取材を通して造船所の歩みを調べ、記録していった。

 印象に残る出来事は、MM21地区のみなとみらいセンタービル建設現場で2008年、造船所で建造された「山汐(やましお)丸」のいかりが発掘されたことだ。高層ビルが林立する中、造船所時代の記憶を呼び起こす「タイムカプセル」のようだった。国の重要文化財として保存されている2基のドックなど、地区内に残る造船所時代の面影を社内報で分かりやすく紹介した。

 その後、火力発電などを担う事業会社「三菱日立パワーシステムズ」に転籍し、18年4月からは、横浜ランドマークタワーや横浜美術館に隣接する三菱重工横浜ビルで広報を担う。くしくも造船所の跡地に建てられた高層ビル。眼下には、中学生時代に胸躍らせたMM21地区が広がる。

 横製時代に先輩とともに手掛けた社内報は宝物だ。「薄れゆく造船所時代の記憶と思い出が記録できてよかった。新たな時代になっても、この街の物語を伝え続けたい」 


「自立した街」を目指して開発された横浜・みなとみらい21(MM21)地区=2018年10月
「自立した街」を目指して開発された横浜・みなとみらい21(MM21)地区=2018年10月

ポスト五輪の「都市づくり」


 戦後の高度経済成長まっただ中。前回の東京五輪翌年の1965年、故・飛鳥田一雄横浜市長は新たな都市づくりの構想「六大事業」を発表した。その一つが「都心部強化事業」。後に「みなとみらい21(MM21)」と名付けられた事業は、その中核プロジェクトと位置付けられた。

 現在同様、当時は首都・東京への一極集中が進み、横浜は郊外部の急激な住宅開発と人口増という課題に直面していた。都心部強化の狙いはベッドタウン化した状況を打破し、「自立した街」になることだった。

 開港以来発展を続けてきた関内・伊勢佐木町地区と、戦後急速に発達した横浜駅地区。その中間に位置し、三菱重工業横浜造船所などのある臨海部を再開発し、3地区が連続した「新たな都心」をつくる、という壮大な計画だった。

 「市民が豊かに『生活する場』と『働く場』、『遊ぶ場』が共存する。東京の衛星都市にはならず、横浜で(機能を)完結させる。(市が)都市のあるべき姿を追求した上でのプロジェクトだった」。元市職員として都市デザインに携わり、現在は横浜市立大学グローバル都市協力研究センターシニアアドバイザーの国吉直行さん(73)は語る。

 故・細郷道一市長時代の80年、焦点だった造船所移転が決まると、臨海部整備計画は本格化する。翌81年には市が計画の愛称を募集。作詞家の阿木燿子さん、イラストレーターの故・柳原良平さん、計画の調査委員会委員長を務めた土木工学者の故・八十島義之助さんら9人で構成する選考委員会は、2292点の中から「みなとみらい21」に決定した。

 「21世紀にふさわしい未来のイメージと街をつくりだす計画をよく捉えている」「国際都市『みなと横浜』を外国人に印象づけることができる」-。選考委員はそう評価し、来る21世紀を見据えた新たな街への期待を愛称に託した。佳作の20点には「赤い靴シティ」「エメラルドシティ」「コスモポリス」「マリンタウン」などが選ばれた。

 MM21事業は当初、横浜博覧会(YES'89)から11年後の2000年を開発目標年と設定。就業人口19万人、居住人口1万人を目標に掲げた。商業施設やオフィス、高層マンションなどの建設が進んだ今、就業人口は約10万5千人、居住者は約9千人。計186ヘクタールのうち計画段階も含め「開発済み」と暫定利用を合わせると90%となった(18年1月時点)。市は「最終仕上げの段階」(みなとみらい21推進課)とするが、当初目標よりもずれ込んでいるのは事実だ。

計画遅れを逆手に



 バブル崩壊で新規オフィスビルの建設が滞るなど経済情勢に左右され、計画変更を余儀なくされた。当初は立地企業からの税収で市内経済の活性化を目指したが、進出を打診しても「そんな余裕はない」と、にべもなく断られることもしばしば。市は固定資産税や都市計画税の軽減や助成金を交付する企業立地支援制度を導入した。

 大型商業・アミューズメント施設や高層マンションの建設が相次ぎ、「職・遊・住」の要素のうち「遊・住」の側面が強調されるようになり、就労人口の当初計画の達成は程遠い。居住者数は目標をほぼ達成したものの、みなとみらい線の開通後は都内への通勤・通学者の新たなベッドタウンとなりつつある。

 ただ、「目標達成が遅れたことによるメリットの方が大きい」と一般社団法人横浜みなとみらい21事務局次長の八幡準さん(65)は話す。結果的に、一部の街区で観光・エンターテインメントを軸としたまちづくりを打ち出すなど、当初想定していなかった機能が加わったという。

 八幡さんは力を込める。「観光エンタメは時代のニーズに応じて導入した機能。建物が一斉に建てば、街は一斉に陳腐化する。街全体が日々、バージョンアップしている。それがMM21地区の魅力だ」

六大事業とMM21事業 六大事業とは(1)横浜都心部強化(2)港北ニュータウン建設(3)金沢地先埋め立て事業(4)高速鉄道(地下鉄)建設(5)高速道路網建設(6)ベイブリッジ建設-の各事業。(1)の中核的プロジェクトであるMM21事業は、横浜の自立性の強化▽港湾機能の質的転換▽首都圏の業務機能の分担を目的とし、「24時間活動する国際文化都市」などの都市像を掲げている。
みなとみらい(中)明治の遺産がシンボルに
みなとみらい(下)次世代に託す未来

(2019.1.1掲載 岡本晶子、三木崇)


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