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神奈川と平成・寿(下) 変わるべきは社会

社会 神奈川新聞  2019年01月15日 09:00

カラオケ大会の会場となった寿生活館の娯楽室。約20人が自慢の喉を披露していた=1月2日、横浜市中区
カラオケ大会の会場となった寿生活館の娯楽室。約20人が自慢の喉を披露していた=1月2日、横浜市中区

(上)高齢化率6割「都会の限界集落」
(中)「黙ってられぬ」絆の共助

 横浜博覧会(YES'89)の余韻が横浜市内に漂う1990年の暮れ。横浜駅コンコースの片隅や柱の下に、野宿者たちが身を寄せ合って横たわっていた。傍らでは、スキー旅行に向かったり、買い物を楽しんだりする若者たちが笑顔で往来する。

 当時、神奈川大の学生だった高沢幸男さん(48)は、年末年始に炊き出しを行う支援活動「寿越冬闘争」に初めて参加していた。バブル経済の絶頂期を迎えてまぶしく輝く繁華街の「光と影」に衝撃を受けた。

 高沢さんは93年1月の寿支援者交流会の立ち上げに加わり、現在は事務局長。横浜・寿地区の寿生活館を拠点にホームレス状態や生活が困窮している人たちの支援を続けている。

 寿生活館4階には、野宿者などに開放している娯楽室がある。バブル期までは日雇い労働者が中心で、隣接する洗濯場では地下足袋を洗っている人が多かった。大抵は次の仕事が見つかるまで野宿している人たちだった。

 頑張って働けば、その分だけ稼ぐことができた時代。娯楽室では顔を合わせた仲間たちと冗談を言い合い、作業員宿舎の情報を交換するなど、表情は一様に明るかった。

 野宿しながら生き抜いてきた人たちはいずれも個性的。着の身着のままで訪れ、服を全部脱いで洗濯機が回っている間、タオル1枚の姿で待ち、乾燥まで終わると洗いたての服を着て帰る人もいた。

 「こうあるべきだと社会から規範的に生きることが強いられる時代だからこそ、娯楽室は自分らしく生きる場であってほしい」。高沢さんは、利用者が他人に迷惑を掛けない限り「自分が持っている規範を相手に押しつけない」との考えで見守ってきた。

 娯楽室を訪れる人たちの顔ぶれが変わり始めたのが91年のバブル経済の崩壊後。アジア通貨危機の97年以降は働き盛りの世代が行き場を失い、路頭に迷う姿が増えた。

 日本経済のグローバリゼーションが生んだ「会社都合の失業者」たちだった。国内製造業が衰退し、海外で安価な労働力を求めるようになり、産業空洞化が進んだためだった。

 2008年のリーマン・ショックでは、20代の若者たちがリストラで派遣先の寮を追われ、野宿せざるを得ない状況に陥ったことが社会問題となった。男女を問わず「派遣切り」された若者たちは突然放り出され、実家や親しい人に頼れないまま路上をさまよっていた。

 寿や東京・日比谷公園のテント村「年越し派遣村」で受け入れたが、「あまりに人数が多くて、私たちが支援しきれなかった」と自戒する高沢さん。支援者を含め、頼る先がない若者が増えた背景を「経済的な困窮だけでなく『人間関係の貧困』もあった」とみる。

 困窮者、高齢者、障害者-。「今の野宿者は社会的に排除されてしまい、路上に送り出されたケースがほとんど。誰もがホームレス状態になるかもしれない時代なのに偏見に満ちた目で見られてしまう」。その理由の一つは「頑張って働けばまともに生活できる」というバブル経済のころのイメージが今も浸透していることにある。

 「『日本は高度経済成長で世界でもトップクラスの先進国に入った』。今も変わらず、そう信じている人がいかに多いことか」。高沢さんは言葉を継ぐ。「実際はそうでないのに」

 バブル景気後の1990年代前半から2000年代前半にわたる経済低迷の期間は「失われた10年」といわれていたが、「実は現在までに至る『失われた30年』。変わるべきは、あくまでも社会の側。より格差が広がり、国力を失い、貧困化がさらに進む時代を控えて、危機感を持たなければ」

(2019.1.15掲載、三木崇)


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