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【平和つなぐ】日中の懸け橋、通訳で 残留孤児が待つ東京五輪

社会 神奈川新聞  2019年01月03日 00:29

東京五輪のボランティアに応募した猿田さん。「五輪後も日本に来る中国の人たちが困らないよう手伝いたい」と語る=横浜市港北区の日産スタジアム前
東京五輪のボランティアに応募した猿田さん。「五輪後も日本に来る中国の人たちが困らないよう手伝いたい」と語る=横浜市港北区の日産スタジアム前

 第2次世界大戦末期の混乱で中国に取り残され、戦後40年を経て帰国した残留孤児の男性が、2020年の東京五輪でのボランティア活動を目指している。帰国後、言葉が通じぬ祖国での生活に苦しんだものの、日本語ボランティアらが支えてくれたおかげで、日常会話が最近できるようになった。自らが懸命に生きた二つの国の言葉を使い、「中国から来る人の通訳となり、日中友好の懸け橋となりたい」と意気込んでいる。

 「30年ほど前に帰国した時は日本語が全く分からなかった。4年前に定年退職してから、たくさんの教室に通い、家でも猛勉強して、ようやく話せるようになったんです」。1歳の時に親とともに中国に渡った残留孤児の猿田勝久さん(75)=横浜市鶴見区=は1985年夏に永住帰国した。今も日本語教室など6カ所を掛け持ちし、勉強を怠らない。

 「せっかく勉強できる時間も環境もあるのに、やらないともったいない。中国にいた時は勉強したくても金も時間もなく、帰国した後も家族のために働かなければいけなかったから」

 東京五輪で観光客の案内などをする横浜市の「都市ボランティア」に応募したのは18年12月。応募フォームには使える外国語に「中国語」と書き入れた。

 「身に付けた日本語で、中国から訪れるお客さんが困らないように通訳としてお手伝いしたい」と猿田さん。3月までに届く採用結果の通知が今から待ち遠しい。「日本に来る中国の人に、経験を生かして日本語を教えてあげたい」と五輪後も見据える。そして、力を込めた。

 「それが日中友好の懸け橋になること。私を助けてくれた両国の友人たちに恩返しをしたい」

  ■  ■

 中国に渡ったのは1945年の終戦の2カ月前のことだった。

 父親は1歳の猿田さんと身重の母親、祖母を連れ、新潟港から中国に向かった。住んでいた川崎市幸区の家が同年4月の大空襲で焼け、国が「満州に行けば安定した暮らしができる」と呼び掛けていたからだ。後に「棄(す)てられた民」と称された残留邦人の苦難を思えば、罪深い対応だった。

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