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過去と未来のディストピア KAAT2018回顧<劇評>

カルチャー 神奈川新聞  2018年12月20日 08:25

「華氏451度」で主人公モンターグを演じた吉沢悠(撮影・岡千里)
「華氏451度」で主人公モンターグを演じた吉沢悠(撮影・岡千里)

 KAAT神奈川芸術劇場(横浜市中区)がこの秋、社会をえぐる演劇を立て続けに上演した。「華氏451度」(9月28日~10月14日、白井晃演出)と「セールスマンの死」(11月3日~18日、長塚圭史演出)である。2作とも古典的名作だが、今この時代に舞台化した意味は大きい。描かれたのは、現代のディストピア(反理想郷)だ。

 前者は、書物の所有が禁じられ思想が徹底管理された近未来を描いたレイ・ブラッドベリのSF。後者は第2次大戦後の米国を舞台に、倫理の崩壊や世代の断絶を題材にしたアーサー・ミラーの戯曲だ。時代も世界観も異なる両作品は、しかしどこか重なる。

 今や禁じられるまでもなく人々は書物を遠ざけ、携帯端末からは考える間もなく画像や動画や音が繰り出される。「華氏-」の舞台上に出現した見上げるほどの本棚は、英知の象徴だ。そして、純粋無垢(むく)に「なぜ?」と現世の矛盾を問い、主人公モンターグ(吉沢悠)を自省の混乱に陥らせた少女(美波)は、享楽の時代を相対化する良識の化身だろう。

 だが「ファイアマン」は問答無用に「不法所持」の本を焼き払う。1953年に書かれた作品ながら、これは現代の暗喩だ。KAATの芸術監督でもある白井はインタビューで言った。「社会問題から人々の目がそらされ、スポーツや芸能の情報に埋め尽くされている。実は私たち自身も、それを望んでいるのではないか」と。思想史家の藤田省三はそんな状況を「『安楽』への全体主義」と称した。


「セールスマンの死」で好演した風間杜夫(撮影・細野晋司)
「セールスマンの死」で好演した風間杜夫(撮影・細野晋司)

 「セールスマン-」はより直截(ちょくせつ)だ。主人公ウィリー(風間杜夫)は、情熱と人懐こさで各地の顧客から気に入られた敏腕セールスマン。自慢の息子は高校フットボールのスター選手だ。しかし、いつしか売り上げは落ち、2代目社長から疎まれ、息子たちも期待ほどの大物にはなれない。重いかばんを提げ、何千キロも休みなく運転し続けたウィリーは幻覚にさいなまれ、やがてその車で命を絶つ。

 大衆消費社会が花開いた20世紀前半の米国。やがて効率が突き詰められ、代わりの利かない「あなたでこそ」という人間関係は隅へと追いやられた。

 劇中、ウィリーは度々過去を語った。それは郷愁にすぎぬかもしれないが、過去の記憶を抱いてこそ現在を平穏に生きられることもあるだろう。大柄な風間の朗らかでよく通る声、自信に満ちた動きは、失われた温かな時代への憧憬(しょうけい)だ。対照的に、深い悲しみに沈んだ妻(片平なぎさ)が、酷薄な時代に直面させられた市井の人を体現した。

 両作品が描いた過去と未来のディストピアは紛れもなく、熟慮を阻害し、人間性を疎外する現在の世界だ。ならば、今後KAATが描くべきはユートピアでなく、ディストピアを生きる耐力と、あらがう人々の姿だろう。生身の人間による、その場でしかなし得ない「一回性」(ドイツの思想家ベンヤミン)の演劇にこそ、望みを託したい。


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