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美術史家の陰里鐵郎さん死去、横浜美術館長などを歴任

社会 神奈川新聞  2010年08月24日 23:54

横浜美術館館長などを歴任し、日本美術界の発展に尽力した美術史家の陰里鐵郎(かげさと・てつろう)さんが7日午前3時37分、心不全のため横浜市内の病院で死去した。79歳。長崎県出身。自宅は横浜市戸塚区。葬儀は近親者のみで済ませた。喪主は妻庸子(ようこ)さん。10月24日に横浜市内でしのぶ会を開く。

長崎・五島列島生まれ。実家は代々続く医者で、美術への情熱を持ちながら医学を学ぶために上京した。日本大学教養学部医学進学コース在籍中も並行して美術を学ぶ。同大教養学部修了後の1952年に東京芸術大学に入学。卒業後は同大美術学部助手を経て、62年に県立近代美術館学芸員になった。

65年から東京国立博物館、東京国立文化財研究所(当時)で専門の近現代日本美術の研究を深めた。82年には、開館の準備段階から携わった三重県立美術館館長に就任した。

94年、横浜美術館館長に。2001年に退任するまで、同館の運営に心を砕いた。女子美術大学大学院教授やそごう美術館理事長も歴任。08年にすべての役職を退いてからも美術界に視線を向け続けていたが、今年3月から療養中だった。

08年に神奈川文化賞を受賞。

◇いい兄弟子だった

酒井忠康・世田谷美術館館長の話 県立近代美術館で、学芸員として1年間一緒だった。土方定一元館長(故人)のもと、美術館の仕事の基本的なことを教えてくれた一人で、いい兄弟子だった。美術館のほか研究所や大学にも在籍したが、その場に基づいた仕事をする人だった。けた違いに酒が強かったが、そういった席でも美術の話題に集中していた。

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