1. ホーム
  2. 社会
  3. 新しい100年の始まりに、「悲運のランナー」息子の孫正寅さん/日韓併合100年・横浜

新しい100年の始まりに、「悲運のランナー」息子の孫正寅さん/日韓併合100年・横浜

社会 神奈川新聞  2010年08月11日 00:27

父は悲運の英雄であり、「屈辱の歴史」の証人だった―。10日発表された日韓併合100年の首相談話を感慨を持って聞いた人が横浜にいた。植民地支配下の朝鮮半島から日本代表として出場した1936年のベルリン五輪マラソンで金メダルに輝いた孫(ソン)基禎(ギジョン)の息子、正寅(ジョンイン)さん(67)=横浜市中区在住=だ。節目の談話が「真のパートナーシップで結ばれる、新しい100年の始まり」になることを願っている。

首相談話のニュースは、事務部長を務める民団横浜支部で聞いた。

「過去の不幸に向き合ってこその未来志向。喜ばしく受け止めた」

しかし、と続けて「歴史は自国に都合よく解釈されるもの。アボジ(父)のことも、どこまで正確に伝えられているだろうか」。両国に横たわる歴史認識の問題。談話は「韓国の人々は、その意に反して行われた植民地支配によって、国と文化を奪われ、民族の誇りを深く傷つけられた」としたが、「併合は韓国側も望んだものだった」とする声は100年の節目になお、日本側に残る。

歴史の真実―。それは父の姿にあった。74年前、盛夏のベルリン。42・195キロを駆け抜けた。掲げられた日の丸、流れる君が代。表彰台で、うなだれた。「おれは朝鮮人だと、心のなかで叫んだ。二度とマラソンを走るまいと思ったそうだ。流したのは悲しみの涙。しかも帰国後は朝鮮人の民族意識を刺激するとして犯罪者扱いだ」

正寅さんが来日したのは68年。父の母校、明治大に留学し、民団職員として日本にとどまった。「両国の理解を促す懸け橋になりたい。それがアボジに報いることにもなる」。2002年、日韓共催となったサッカーワールドカップ(W杯)では地元横浜で通訳のボランティアにあたった。小学校などへ講演に出向き、呼び掛け続ける。「あのマラソンで日本は勝った。でも日本人が勝ったわけじゃない。それがどういう意味なのかを考えてほしい」

首相談話では文化財の返還も約束された。正寅さんは夢想する。

「父のメダルは、日本が夏季五輪で獲得した123個の金メダルの一つとして記録されている。日本オリンピック委員会(JOC)が国際オリンピック委員会(IOC)に働きかけ、韓国に返還する。文化財と同じように、そんな日が来ることはないのだろうか」

日本がオリンピックに参加するようになって100年となる2012年は孫基禎生誕100年にあたる。「願わくばアボジのメダルが背負った過去が清算される日を見届けたい」。父から受け継いだバトンを手に、目指すゴールはまだ先にある。

◆孫基禎 1912年、日本統治下の朝鮮半島に生まれ、36年のベルリン五輪に日本代表として出場。2時間29分19秒2の五輪記録(当時)で金メダルに輝いた。「東亜日報」が胸の日の丸を塗りつぶした表彰式の写真を掲載、朝鮮総督府が発刊停止を命じ、「日章旗抹消(まっしょう)事件」として知られる。88年のソウル五輪開会式で聖火リレー最終走者を務め、2002年にソウル市内の病院で死去した。

【】


シェアする