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教科書から消えた風刺狂歌「泰平の眠りを覚ます上喜撰」、黒船来航直後のものと裏付ける書簡発見

社会 神奈川新聞  2010年07月06日 11:17

ペリー艦隊の黒船が横須賀・浦賀沖に来航した嘉永6(1853)年6月当時の江戸幕府の混乱ぶりを風刺した狂歌「泰平の眠りを覚ます上喜撰(じょうきせん) たった四はいで夜も寝られず」が、黒船来航直後に詠まれたことを示す書簡がこのほど、東京都内で見つかった。この狂歌は関連史料が明治時代までしか、さかのぼれなかったことから「明治人の作ではないか」との説が10年ほど前から出され、最近ではほとんどの教科書から消えていた。発見者は、新史料によって旧来の説が正しかったことが裏付けられたとしている。

発見したのは元専修大講師で横須賀開国史研究会特別研究員の斎藤純さん(62)。同研究会が編集し、横須賀市が発行する研究誌「開国史研究第10号」で経緯を報告している。

それによると、書簡は1853年6月30日付で日本橋の書店主山城屋佐兵衛が常陸土浦(茨城県)の国学者色川三中(みなか)にあてたもの。異国船(黒船)の件で江戸が騒がしい状況を知らせ、追伸の形で「太平之ねむけをさます上喜撰(蒸気船と添え書き) たった四はいて夜(よ)るもねられす」などの狂歌が記されていた。

斎藤さんは茨城県の豪農大久保真菅が収集したペリー艦隊来航記録を調べていた際、大久保の師である色川の黒船来航記録に関心を寄せた。今年2月初め、静嘉堂文庫(東京都世田谷区)が所蔵する色川の旧蔵書の中に、色川本人が山城屋の書簡を張り付けて保存していた「色川三中来翰(らいかん)集」があるのを見つけた。

通常引用される狂歌と比べ、「泰平」が「太平」に、「ねむり」が「ねむけ」となっているが、斎藤さんは「表記上の違いで、『ねむり』は書き写す過程で変わった可能性がある。基本的な意味は変わらない」と解説。「黒船来航当時の衝撃度がよく分かる狂歌で、ぜひ教科書でも復活してほしい」と話している。研究誌は800円。横須賀市役所や各行政センターなどで購入できる。

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