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「城ラマ」マイスターが行く<8>足柄城

カルチャー 神奈川新聞  2017年05月30日 18:43


足柄城二の郭から望む富士山
足柄城二の郭から望む富士山

【2017年3月12日紙面掲載】
城は自勢力と敵勢力の境目の近くに築かれることが多い。勢力の境目とは地形的な特徴をもった場所になる。なぜなら戦は地形に大きく左右されるからだ。

 日本は山が多いので必然的に「峠」に多くの城が築かれた。現在の県境も「峠」によって分けられている場合が多いが、「峠」に城が存在していた場合、勢力の境目はその「峠」ではない。「峠の城」を抑えた勢力は峠の向こう側にも自勢力の影響を及ぼすことができるからである。

 足柄城はそのことを実感できる城址(じょうし)だ。足柄峠は相駿(そうすん)(相模=神奈川県、駿河=静岡県)の境にあたるが、足柄城の曲輪(くるわ)の主要部分は実は静岡県側にある。

 足柄城の構造は、峠付近にある主郭をピークに、北側(静岡県側)の斜面に向けて5段からなる郭が連続して造られている。また、街道を城内に取り込み、物流・交通を厳しく監視していた。これらの郭や堀の配置から、駿河側の勢力が相模へ侵入することを防ぐために、相模側の勢力、つまり後北条氏によって造られた城、ということが読み取れる。


今年の9月まで「相模国南足柄領」となった足柄峠広場
今年の9月まで「相模国南足柄領」となった足柄峠広場

 現在の足柄城の姿は、天正年間の終わりに豊臣秀吉との対立が顕在化し、最も大規模な改修が進められた後北条氏末期の姿を伝えている。

 関東の城の特徴は土塁を多用した土の城というイメージがあるが、後北条氏末期の城は八王子城のように石垣を多用している城も多い。この足柄城にも一部石積みの遺構が存在する。秀吉との決戦が近づく中、特に街道に近く目につきやすいところを中心に、石垣が多く使われていた可能性もある。

 城内はよく整備されていて歩きやすいし、遺構も大変すばらしいのだが、この城一番の特徴は絶景の富士山を眺めることができるということであろう。

 城址への散策は、お城に興味がない人にとっては退屈に感じてしまうので必然的に一人で行くことが多くなるが、この足柄城址は、お城に興味がない人でも「行ってよかった」と言ってもらえる数少ないポイント。デートスポットにも使えてしまう場所なのだ。

 また、毎年9月の第2日曜日に、南足柄市と静岡県小山町の共催で行われる「足柄峠笛まつり」で「領地争奪綱引き合戦」が行われ、勝者は主郭にある足柄峠広場を領地とすることになっている。ちなみに2016年の勝者は南足柄市。足柄城址の主郭は少なくとも今年の9月までは、平和な時代に現代の勇者たちによって勝ち取られた神奈川県の領地なのである。<おわり

 にのみや・ひろし 1968年生まれ。横浜市港北区のOA機器部品メーカー社長。城郭全体を地図や資料を使いこなして再現し「城ラマ」を製作している。「城郭復元マイスター」を自ら名乗る。
◎足柄城 東名高速「大井松田」「御殿場」インターチェンジから車で30分


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