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「東の宝塚」…、五大路子さんが花月園“秘話”を舞台に/横浜

神奈川新聞  2010年05月02日 12:37

花月園園内にあった観覧車。これも高田さん、馬場さんの祖父が経営した=高田修子さん所蔵
花月園園内にあった観覧車。これも高田さん、馬場さんの祖父が経営した=高田修子さん所蔵

3月末に廃止された競輪場の花月園(横浜市鶴見区)が戦前、東洋一とうたわれた遊園地だったことをご存じだろうか。国内初とされる観覧車や、「東の宝塚」の異名を持つ少女歌劇団まで備えた一大テーマパークだった。この埋もれかけた記憶をたどり、昭和初期のにぎわいを舞台に再現しようという試みが地元横浜で進んでいる。

企画したのは、ハマっ子女優の五大路子さん。“楽園”をつくろうと奮闘した実業家・平岡廣高を軸に、園で働いた庶民の姿も交えて描く。「鶴見花月園秘話」を著した歴史家の齋藤美枝さんと共に、往時を知る人を訪ね歩いている。

同市緑区の高田修子さん(71)と港北区の馬場康子さん(68)姉妹も、貴重な証言者。祖父は園内で休憩所「おとぎ茶屋」を営んでいた。「それはにぎやかでした。花見の時期は酔った人がけんかを始めて嫌でしたけれどね」と修子さん。

それだけでなく、二人の母は結婚前、少女歌劇団にスカウトされて舞台に立っていたという。康子さんは「子どものころ、思い出話を毎日聞かされました。家から劇場まで5分ほどの間も、おしゃれをして出掛けたそうです」と話す。

けれども、そんな華々しさは戦争によって消えた。シンボルの観覧車は、修子さんたちが疎開している間に取り払われ、高射砲の陣地に。終戦後に二人が見たかつての楽園は、がれきの山になっていた。

なぜ今、戦前の遊園地を回想するのか。五大さんは「ここには、確かに人々の生活があったんです」と力説する。その言葉に呼応するように、閑散とした競輪場跡で修子さんは指さした。「この桜は昔からありましたね。ああ、このフジ棚でも遊んだなあ…」

◇横浜夢座第9回公演の演劇「ジャンジャン花月園(仮)」(中島淳彦作、遠藤吉博演出)は11月26日から12月2日まで、横浜・ランドマークホールで上演。

◆花月園遊園地 1914年に平岡廣高が開園。23万平方メートルの敷地には観覧車のほか動物園、登山電車、ダンスホール、ホテルなどがあり、遠足先としても親しまれた。その後戦争のために遊具が次々と撤去され、46年に閉園した。

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