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ノンフィクション作家・保阪正康さん語る(下)
時代の正体〈467〉追悼、慰霊重ねる理由 天皇生前退位考

時代の正体 神奈川新聞  2017年05月11日 10:38

2016年1月、フィリピンを訪問し、「比島戦没者の碑」に供花される天皇、皇后両陛下(共同)
2016年1月、フィリピンを訪問し、「比島戦没者の碑」に供花される天皇、皇后両陛下(共同)

 「天皇陛下が追悼と慰霊を繰り返すのはなぜでしょうか。私は戦没者と会話をしているのだと思います」。ノンフィクション作家・保阪正康さん(77)はそう語る。即位から28年。天皇、皇后両陛下が続ける「慰霊の旅」から見えてくるものとは-。

 近代日本では天皇が軍を統帥すると定めた大日本帝国憲法の下で戦争が行われましたが、もっと突き放して考える必要があります。

 第2次世界大戦で、軍が政治を動かし、コントロールしたのは日本だけです。

 政治が軍をコントロールするのが全ての国のルールでした。いわゆる文民統制(シビリアンコントロール)ですね。なぜ、シビリアンコントロールがあるのか。政治が軍事を支配しないと、軍は勝つまで戦争する。政治が放っておくと、どこまでも戦争する。

 17、18世紀までは限定された地域で、20歳を超えた青年兵士たちが鉄砲を撃ち合いました。非戦闘員が死ぬことはなかった。しかし、20世紀以降は、戦闘機が爆弾を落とし、何十キロ先に大砲が飛び、戦場で毒ガスがばらまかれる。科学技術の進化と同時に、戦争が大きく変容しました。際限なく戦い、非戦闘員が死ぬわけですから、国家が危機にひんします。

 政府は国民の生命と財産を守るのが最大の役目です。それを、国民の生命、財産を次から次へとつぎ込み、最後は国民の4人に1人が死んだとしても戦争すると言い出した。それが先の大戦です。

 1945(昭和20)年8月15日の段階で、軍は本土決戦に持ち込もうとしました。本土決戦をやり、最後まで戦う、と。それがどんな内容だったか。軍が文書を燃やしてしまったため、全容は分かりません。しかし、一部は残っている。

 45年6月に義勇兵役法が公布・施行されました。女性は17歳から40歳まで、男性は15歳から60歳まで軍に登録されます。本土決戦といっても武器も靴もない。

 上陸する米国軍に対して、どんな抵抗をするか。みんな特攻要員です。相模湾から米国の揚陸艦が上陸します。50メートルごとくらいに穴を掘り、15、16歳の少年がリュックサックに火薬を詰め、戦車が来たら火薬に火を付けて飛び込む。米国の戦艦に、木で造ったボートでぶつかっていく。それが本土決戦なんです。

 政治が軍をコントロールしていたら、こんなことはない。軍人は違う。勝つまでやる。軍は本質的にそういう宿命がある。だから文民統制が大事なんです。

感覚


 もう一度言いますが、第2次世界大戦で軍が政治をコントロールしたのは、日本だけです。こういった事実を具体的にひもとくことが大事です。

 例えば、3900人の特攻隊員が米国の艦船にぶつかり、死んでいます。7割は学徒兵と少年飛行兵です。学徒兵は43(昭和18)年に軍に徴用された大学生です。少年飛行兵は志願して来た17、18歳の少年です。

 私は不思議でしょうがなかった。士官学校や海軍兵学校では、何人も専門のパイロットを育てている。なぜ彼らは特攻隊員にならなかったのか。

 私は、かつての軍事指導者に話を聞いて歩きました。なかなかみんな本当のことを言いません。しかし、ある正直な元将官は言いました。

 「君は戦争を知らない世代だね。それは当たり前なんだ。1人の軍人を育てるのに、国がどれだけのお金を使うのか」

 私は聞きました。

 「では、学徒兵や少年飛行兵は、金を使っていないから、いいんですか」

 「結局、そういうことになるだろうなぁ」

 つまり、軍事を尺度として人間を細分化、序列化するんです。

 戦争はそうした仕組みを持つことを認識した上で、軍人が政治に堂々と出てきて意見を言い、政治を動かそうとしたときに、目を光らせないといけない。かつて日本は、軍が天皇をどう喝し、国民を黙らせ、戦争に入っていった。戦争の方向に向かっているかどうか、その感覚を持つことが大事なのです。

会話


 今の天皇陛下は、皇統を守る手段に戦争を選ぶことは「私の名においてできない」と固く信じている節があります。

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