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32年間、強豪校の鎌倉学園野球部を指揮した監督が勇退

高校野球 神奈川新聞  2009年10月10日 10:43

最後の舞台となった3日の秋季県大会準決勝、桐蔭学園戦の試合前にノックをする鎌倉学園・武田監督=保土ケ谷球場
最後の舞台となった3日の秋季県大会準決勝、桐蔭学園戦の試合前にノックをする鎌倉学園・武田監督=保土ケ谷球場

鎌倉学園高野球部で1978年から指揮を執っていた武田隆監督(53)が、3日の秋季県大会準決勝敗退を最後に勇退した。32年の監督歴は同一チームでの指揮官として県内現役最長だった。夏は県で準優勝1度、4強が3度と長く神奈川の高校球界を盛り上げ、プロ野球の横浜などで活躍した若田部健一投手(現解説者)ら名選手も多く育てた。監督は「何が何でもと教えるエネルギーがなくなった。教え子が3人も学校に戻ってきてくれ、バトンタッチしようと思った」と退任の理由を話した。後任には角田憲之部長(36)が就く。

32年。積年の思いを、ぶっきらぼうにごまかした。

「別に感慨なんてないよ。やっと解放されるって感じ。おれは大げさなのが嫌いなんだよ」

3日の秋季県大会準決勝。0―2の惜敗で退任の日を迎えた。

その、ベンチ裏。

浮かべ続けた照れ笑いに、涙が伝った。

秋田出身。能代高から早大に進み、4年生の時に鎌倉学園を紹介された。「鎌学なんて名前しか聞いたことがなかった」という青年に託されたのは、部員が15人にまで減った「どん底」の名門だった。

「自分が知っているのはスパルタ式の野球だけ。めちゃくちゃに鍛えました」。3年目の80年、横浜が愛甲猛を擁して全国制覇した夏には、4強にまで駆け上がった。

振り返れば、「たら、れば」ばかりが思い浮かぶ。中でも二つ、忘れられない夏がある。

後にプロ入りする若田部を擁した、87年の69回大会。準決勝で横浜商(Y校)と対した。

「若田部の武器は外角の出し入れだった。内角を使う大切さも教えたけど、外だけでまず打たれなかった」。Y校打線はその外角に絞って、踏み込んできた。結果は2―6。「当時Y校には小倉さん(清一郎・現横浜部長)がいた。完全に見抜かれていたんだよね」

翌年。決勝の相手は、法政二。大一番で連戦連投のエース家城良則の指の皮がむけ、1―9で惨敗した。法政二には、秋に6―0で快勝していた。

「もし、もう一回やらせてもらえるなら、この2試合をやりたいよ」。鼻先をかすめていった夢は、今も胸を焦がす。

厳格な指導者だった。「厳しさの中にある温かさが伝わると信じてきた」。不思議ときつく接した選手ほど、卒業後も会いに来てくれた。監督を引き継ぐ角田部長もそんな教え子の一人だ。「かなり“かわいがられた”方だと思います」。苦笑いの新監督は、「精神面を鍛えるには少し理不尽なことも必要。そのあたりは武田監督のやり方をなぞりたい」と言う。

信念が近年、揺らぐようになった。「現代っ子にはもう、合わない気がしてきてね」。自身の中で「それでもどうにかしてやろう」という気力もなえた。2年前から勇退を決意していた。

甲子園には届かなかった監督人生を思う。「どこかで間違ったことをしていたんだろうなあ」

消せない悔い。

そして、財産。

「教え子が野球部の指導者として3人も学校に戻ってきてくれた。あとは、任せるよ」

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