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【カナロコオピニオン】記者の視点 デジタル編集委員石橋学
【憲法特集】時代の正体〈464〉社会を変える責務はマジョリティーに

時代の正体 神奈川新聞  2017年05月03日 11:19

差別主義者による2016年6月5日のデモは抗議の市民と警察官に取り囲まれ中止を余儀なくされた =川崎市中原区
差別主義者による2016年6月5日のデモは抗議の市民と警察官に取り囲まれ中止を余儀なくされた =川崎市中原区

【時代の正体取材班=石橋 学】一つの法律を武器に闘い続ける人たちを私は追っている。

 1日夜、市民団体「『ヘイトスピーチを許さない』かわさき市民ネットワーク」のメンバー6人が小さな会議室に集まっていた。「死ね」「殺せ」と在日コリアンを迫害するヘイトスピーチをおおもとから絶つ、人種差別禁止条例を求めるパンフレットづくり。文面を巡って意見を交わすなか、その武器、ヘイトスピーチ解消法が引き合いに出された。

 「第3条には、国民の責務として『不当な差別的言動のない社会の実現に寄与するよう努めなければならない』と明記されている。ヘイトデモへの抗議する活動はだから、むしろ奨励されるべきものになったんだ」

 「激しい抗議の仕方に抵抗感を持つ人もいるのも確かだから、それが法にかなったものだと知らせる意味はあるよね」

 解消法施行は昨年6月3日。ヘイトスピーチを「許されない」と宣言する法律を社会の規範として確立させ、許されないのだから、具体的になくす行動を起こすべきだと発信していく。パンフレットの短い一文にもそんな意志が込められている。

 「そう、警察だって態度を変えたのだから。少なくとも排除一辺倒ではなくなったからね」

 解消法はヘイトスピーチの根絶に向けた施策を国や地方公共団体に求める。だから、ヘイトデモの参加者に「差別主義者は帰れ」「日本の恥」と罵声を浴びせる抗議のカウンター行動をデモに対する妨害行為とみなし、排除してきた警察は、抗議を正当かつ奨励されるものとして認めなければならない。あるいは、禁止条項のない理念法である解消法の実効性を高め、理念を具現化する差別禁止条例を自治体は作るべきだ。学校教育もヘイトスピーチを明確に否定し、差別撤廃教育に取り組まねばならない。そのように解消法を根拠に具体的な取り組みを求め、行政に働き掛ける運動が続く。

中立はない



 差別根絶の運動に取り組んできた人たちや新たに立ち上がったカウンターの人たちは、差別はなくそうとしなければなくならないと知っている人たちだ。この社会はマジョリティーに都合の良くようにできている。放っておけばマイノリティーは不利益を被るようにできている。その社会をつくっているのはマジョリティーだ。だから変えるのもマジョリティーでしかない。差別と排斥をあおるヘイトスピーチを放置していれば、社会に暴力を肯定する空気が広がり、公正な社会、日常の安寧が破壊される。だから自分が直接差別を受けていなくても、紛れもなく当事者の一人であり、差別をなくす主体者なのだと気づいてる人たちだ。

 それはまた、たった一つの法律がどれだけ待ち望まれ、尊いものであるかを在日コリアンとの出会いを通じて知った人たちでもあった。

 2016年3月、法案審議に参考人として呼ばれた在日コリアン3世の崔(チェ)江以子(カンイヂャ)さん(43)は言った。

 「差別に中立はない。何より国がヘイトスピーチをなくす立場に立つために、法案を成立させてほしい」

 じっと聞き入る国会議員の姿に、崔さんの言葉が胸に響いている様子が伝わってきたた。それはまた、この国が差別をなくすということにいかに無頓着であったかを物語る光景でもあった。

 わが街、川崎市川崎区桜本を襲ったヘイトデモの被害を訴えるために立ち上がった崔さんは後に振り返っている。

 「『共に生きる』という美しい言葉で訴えることができたのも、私よりも先に声を上げてくれていた人たちがいたから。カウンターの人たちが路上で用いた強い言葉は、私が言いたかった言葉だった」

 共に生きる-。それは差別をやめる、やめさせることが前提だ。共に立ち上がる人がいて、初めて被害当事者として声を上げることができたのだった。それはインターネットによる2次被害に遭うことを知りながら、やむにやまれぬ訴えでもあった。

 崔さんは意見陳述でこうも語っていた。

 「わが子の目の前で死ね、殺せと言われ、私の心は殺された。このままでは本当に殺される」

 そうして戦後初めて、外国人の人権を守るための、この国で唯一の反人種差別法は成立をみた。では、最大の人権侵害、戦争への反省からつくられた私たちの最大の武器、70歳を迎えた憲法はどうだろう。

戦後社会の病理




 事はすでに始まっているとさえ思える。

 「通りすがりのレイシスト(人種差別主義者)」を名乗る男は拡声器のマイクを手に絶叫していた。

 「韓国、北朝鮮は敵国だ。世界中で日本の悪口を言っている。だから敵国人に死ね、殺せと言っても構わない。ゴキブリ朝鮮人をぶち殺せ、これで構わないんです!」

 民族虐殺を想起させる「川崎発!日本浄化デモ第二弾」。2016年1月、在日コリアン集住地区の桜本を標的にしたヘイトデモは戦後70年余でたどり着いたこの国の病理の上に成り立っていた。

 元慰安婦はうそつきで、だから在日もうそつきで、われわれは言われなき非難を受けているというゆがんだ認識に基づく加害と被害の逆転。そうして白昼堂々と憎悪をまき散らすヘイトスピーチはしかし、果たして理解不能な一部人間の行動だろうか。

 歴史を都合良く解釈し、植民地支配という負の歴史を正当化しようとしているのは安倍晋三首相その人であろう。朝鮮半島の植民地支配への言及がなく、植民地支配につながる日露戦争を「アジアの人々に勇気を与えた」と肯定さえする戦後70年談話を出した1カ月後、安全保障関連法は朝鮮半島の危機を強調しつつ、強行採決の果てに成立をみた。2013年2月ごろから東京・新大久保のコリアンタウンをはじめ全国各地の街中で公然とヘイトスピーチが行われるようになったのも、その直前の第2次政権の発足と無縁ではない。

 足元に目を転じる。横浜市教育委員会は関東大震災時に起きた朝鮮人虐殺を「殺害」に書き換えた。虐殺の背景には植民地支配があり、差別と蔑視があったと詳述してきた副読本を刷新し、反省を伝える記述は丸ごと削除された。安倍政権を支える右派団体「日本会議」に属する市議の要求に応じた結果だった。

 黒岩祐治知事は県内の朝鮮学校への補助金を打ち切ってみせた。植民地支配により奪われた言葉と文化、歴史を取り戻すべく戦後間もなく始まった朝鮮学校は、その存在自体がこの国の歴史的責任を問いかける存在である。こうした公による歴史否定と差別が路上のヘイトスピーチを正当化し、あおっている。

攻撃される人権


 差別根絶に取り組む人たちはヘイトスピーチが「表現の自由」などとは決して言わない。表現の自由がなぜ大切か。社会は多様な意見で成り立っている方が健全で、自由な意見を表明することは憲法が最も価値を置く個人の尊厳にかかわるからだ。

 だが、ヘイトスピーチは向けられた人に沈黙を強いる。恐怖から口を閉ざさざるを得なくなる。そうしてマイノリティーの表現の自由を奪う。ただでさえ差別の現実を前に在日コリアンの多くは日本名を名乗り、出自を明かせずにいる。そこにヘイトスピーチが追い打ちをかける。あるがままに生きるという、人の生き方までがねじ曲げられる。だから、多様な社会を実現するのに不可欠なマイノリティーの表現の自由、そして個人の尊厳を守るためにこそヘイトスピーチは規制されなければならない。表現の自由の乱用として指弾されなければならない。

 いま、等しく守られるべき人権は在日コリアンに対する差別だけでなく、さまざまな場面で攻撃にさらされている。

 テレビ番組の取材で暮らしの困窮を訴えた横浜の女子高生がインターネットでバッシングを受ける。生活保護の窓口を担当する小田原市の職員が「保護なめんな」と書いたジャンパーを着る。原発事故で福島から横浜に自主避難してきた小学生がいじめを受ける。横浜市教委はいじめだと認めようとしない。そして重度障害者が元職員によって虐殺されるという事件が相模原の施設で起きた。

 やはり問おう。一部の特異な人たちによる行為として片付けられるだろうか。

 憲法を占領軍に押しつけられた「みっともない憲法」といってはばからず、改憲への意欲をあらわにする首相が登場して久しい。その目指すところは、基本的人権を制限する国家主義の思想に貫かれた自民党憲法改正草案に見ることができる。ここ神奈川で目の当たりにしている人権への攻撃はだから、いまの政権の姿勢の縮図だ。相模原の事件で元職員は「障害者は不幸を作ることしかできない」とつづった「犯行予告」を衆院議長に届けている。それは社会保障費の抑制に向かう現政権なら自分の考えが理解されると思ったからに違いなかった。

 憲法第12条はうたう。

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