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【憲法特集】権力の暴走「忘れない」 フリーライター 武田砂鉄さん

時代の正体 神奈川新聞  2017年05月03日 02:00

たけだ・さてつ 1982年東京生まれ。フリーライター。2014年よりフリー。著書「紋切型社会」(朝日出版社)で第25回Bunkamuraドゥマゴ文学賞受賞。著書に『芸能人寛容論』(青弓社)
たけだ・さてつ 1982年東京生まれ。フリーライター。2014年よりフリー。著書「紋切型社会」(朝日出版社)で第25回Bunkamuraドゥマゴ文学賞受賞。著書に『芸能人寛容論』(青弓社)

【時代の正体取材班】日本国憲法は3日、施行から70年の節目を迎えた。国民主権、基本的人権の尊重、平和主義の三大原理は戦後の民主主義社会の中で息づいてきた。一方、国会では2016年7月の参院選の結果、初めて改憲勢力が衆参両院で3分の2以上を占めた。改憲テーマを論じる両院の憲法審査会も再開。そして、安倍政権下では安全保障法制や共謀罪、教育改革など実質的に憲法の理念を骨抜きにする動きが進む。われわれは今の時代をどう捉え、振る舞えばよいのか。思想家の内田樹さん、フリーライターの武田砂鉄さん、政治学者の岡野八代さんに聞いた。

「政権は失言を忘れてもらう成功体験を積み上げている」


 

フリーライター 武田砂鉄さん

 安倍政治の動向をにらみ続けていくことは簡単ではない。相次ぐ閣僚の失言には徒労感を覚えるが、為政者が発する一つ一つの乱暴な言葉に対し、あきれつつも指摘し続ける必要がある。

 〈まだ東北で、あっちの方だったから良かった〉(4月25日、今村雅弘復興相。都内のパーティーで東日本大震災の被害を巡り)

 全国紙のネット版の速報記事を見て驚いた。記事の末尾にこうあったのだ。

 「被災地の反発を招きそうだ」

 これでは、被災地と被災地以外を区別する今村氏の発言と同じではないか。今村氏の発言と同様、問題を被災地のみに矮小(わいしょう)化するメディアの習性が出てしまったのではないか。

 今村氏は4月4日の記者会見で、原発事故の自主避難者が帰郷できないことを「本人の責任」と言い、国の責任について質問した記者に対して「出て行きなさい」と激高して打ち切った。

 「東北で良かった」発言は、2度目の失言だからアウトという見方があるが、果たしてそうだろうか。

 3月12日放送のNHK番組「日曜討論」で今村氏は福島原発事故による自主避難者に対し「ふるさとを捨てるのは簡単」と述べた。

 それに先立つ1月28日には福島市内で行われた会議の冒頭で「福島の復興はマラソンに例えると30キロ地点。ここからが勝負」と発言し、福島県知事から「避難指示区域ではまだスタートラインにも立てていない」と、その隔絶した現状認識を非難されていた。

 軽率発言だとか、リップサービスなどではない。これらの発言を放置してきた安倍政権の本音が吹き出したと言っていい。

 2度目、ではなく度重なる失言で更迭、辞任となったが、これは福島の方々を傷つけたことへの反省というよりも、「安倍政権への直接的なダメージになっちゃうから」という尻尾切りでしかない。


武田砂鉄さん
武田砂鉄さん

 安倍首相が言い放ったスローガンを思い出す。

 〈私が保障する。福島の状況はアンダーコントロール(制御されている)〉(2013年9月7日、安倍首相。国際オリンピック委員会総会で東京五輪招致に向けたスピーチで)

 そこに続けて安倍首相はこうも言った。〈東京には何らダメージはなく、これからもない〉

 日本オリンピック委員会の竹田恆和(つねかず)理事長は「福島から250キロ離れているのでみなさんが心配するような危険性は東京には全くない」とも言った。これらのどこが今村氏の発言と違うのか。

 そしてこうした発言をしてきた人たちがいま「復興五輪」だと言いだし、被災地での競技開催をもくろんでいる。

繰り返される失言


 ここ半年ほどで閣僚の失言が数多くありました。政権の「緩み」なんて言い方をするけれど、緩みではなく傲慢(ごうまん)です。

 〈一番がんなのは学芸員。通常の観光マインドが全くない。この連中を一掃しないと〉(16日、山本幸三地方創生相。大津市内のホテルで文化財観光の振興策を巡り)

 〈強行採決するかどうかは(衆院議院運営委員長の)佐藤氏が決める〉(2016年10月18日、山本有二農水相。佐藤勉衆院議院運営委員長のパーティーで環太平洋連携協定(TPP)の承認案を巡り)

 この強行採決発言の後、山本農水相はさらに「こないだ冗談を言ったら首になりそうになった」(2016年11月8日)とも述べた。

 政権は彼らをかばう。それはこの手の失言が問題視されるのは数日だけで、辞めさせるよりも放っておいたほうがいいと推し量り、その推測が当たるから。


武田砂鉄さん
武田砂鉄さん

 どれだけひどい失言をしようが、強行採決を繰り返そうが、国会の慣例を覆そうが、支持率が急降下することはない。メディアも忘れてくれるから、これで「安倍」の求心力が衰えることはないと踏んでいる。

 失言は繰り返される。同時に安倍政権はそのたびに「忘れてもらう」という成功体験を積み上げているとも言える。

 どうすれば国民の関心をよそに事をなし得るか、その肝要を押さえているのだ。

フェイクな政権


 国会で審議されている「共謀罪」を巡る議論でも信じられないような言葉が発せられている。

 〈「そもそも」罪を犯すことを目的としている集団でなければ(組織的犯罪集団には)ならない〉(1月26日安倍首相。衆院予算委)

 当初から犯罪組織でなければ処罰対象にならないのであれば、オウム真理教は当初宗教法人だったのだから、処罰対象にならないのか…。これについて「そもそも」の意味を問われた安倍首相はこう答えた。

 〈「そもそも」の意味を辞書で念のため調べたら「基本的に」という意味もある〉(4月19日、衆院法務委)

 その後、いくつもの辞書を調べたとの記事を読んだが、「そもそも」の意味を「基本的に」と書いてある辞書は一冊もなかったという。

 ドナルド・トランプ大統領が就任した米国では、彼やその周辺が、メディアが流す情報を「フェイク・ニュース」(嘘ニュース)だと決めつけ、これは「オルタナティブ・ファクト」(もう一つの事実)だ、なんて言葉も出てきている。

 だがそれは私たちの目の前で起きていることでもある。

 2016年6月1日の記者会見で安倍首相は消費増税の延期を表明し、こう言い放った。

 〈これまでのお約束とは異なる、新しい判断だ〉

 これなんてオルタナティブ・ファクトの先駆けではないか。

 今年1月20日。安倍首相は施政方針演説の最も重要なくだりで、江戸時代に土佐湾でハマグリの養殖が始まったという話を持ち出し、言った。

 〈ハマグリは土佐の海に定着しました。そして350年の時をへた今も、高知の人々に大きな恵みをもたらしている。まさに「未来を拓く」行動でありました。未来は変えられる。全ては私たちの行動にかかっています〉

 だが引き合いに出された高知県のハマグリの水揚げ量はもともと少なく「大きな恵み」などない。鮮魚店で売られているハマグリも高知県産ではないと、地元の高知新聞が困惑気味に報じていた。

 施政方針演説で「未来を拓く」「世界の真ん中で輝く日本」と言い、その大仰な言葉をひもとくためにクライマックスで紹介したエピソードの中核が、完全に嘘っぱちだった。関係者に話を聞いたり、少しでも資料をあたればすぐに分かる事実だが、それさえやらずに言葉を発してしまう。

 決して些末(さまつ)な問題ではない。一国の首相がその年の指針を語るためのエピソードが嘘。こんなにも豪快に嘘をつく政府を、信頼できるはずもない。

 こうした指摘には「揚げ足取りだ」「重箱の隅をつついている」との声がかぶさるのだろうが、私たちは揚げ足を取り続けるしかないのではないか。

 「言葉尻」だとか「揚げ足取り」だとか表現されるが、政治家の言葉に尻も足もない。考えを言葉で伝えるのが政治家の仕事だ。その評価の対象は言葉しかあり得ない。ネクタイのセンスがいいとか、握手をしたら頼りがいを感じたとか、若くて爽やかだとか、そんなことで政治家を評価してはいけない。

日本人の思慮の劣化



 国会で審議中の共謀罪は、巧みに言葉を操り国民を欺こうとする姿勢が鮮明に表れている。まず名称。「テロ等準備罪」と政府は呼称しているが、人の内心を詮索し、計画段階で処罰するという点で、過去の共謀罪と本質はなんら変わるところがない。

 それにもかかわらず「テロ対策」を装う。法案の文言が明らかになった段階で、「テロ」の文字が法文にないことに気づき、慌てて「テロ」を付け加えた。こんな欺瞞(ぎまん)があるだろうか。これがないと東京五輪ができない、などと必然性を後付けし続けている。

 「一般人は対象にならない」「普通の人は関係ない」という正体不明の説明が繰り返されているが、そもそも国民を「一般人」とそうでない人に、為政者が勝手に区別すること自体が異常な行為だ。

 この「一般人」について盛山正仁法務副大臣はこう答弁した。

 〈何らかの嫌疑がある段階で一般の人ではないと考える〉(4月28日衆院法務委)

 何らかの嫌疑の有無はまず捜査機関が判断する。警察が「うーん、君、一般人じゃないかも。ちょっと調べさせて」と気ままに踏み込まれるのが共謀罪の実体ではないか。「普通」と「例外」が、自分の意思とは無関係なところで変転する。その判別を他者に与えることの恐ろしさに気付けないものだろうか。

 誰か一人でも知人がそんな目に遭ったら、周辺にいる人はたちまち萎縮する。自分の思いをしまい込み、身の潔白のために監視と密告が生まれる。

 テロが排除や分断から生まれる以上、監視と密告はむしろそういった暴走行為を醸成するかもしれない。個々人の自由な振る舞いを抑制し、人がそもそも持っている選択肢がどんどん奪われていく。

 何かを思い、言い、表現する自由が私たちにはある。そうした選択肢が奪われ続け、それがゼロになったとき人は暴走するのではないか。そのことへの危惧が、とにかくササっと通したがっている共謀罪には一切感じられない。

 為政者によって強権が発動されようとしているとき、まず自分の生活にどう影響するかを考える。でもそれと同時に、自分とは関係のない他人の生活が無理やり剥奪される可能性についても想像する。そうした思慮って、人間が持つべき最低限の優しさなのではないか。誰かが誤って身を拘束されてしまうかもしれない事態がある。

 共謀罪に限らず、身動きを制限される個人がいるとき、自分ではないからといって、なぜ放っておけるのか。沖縄の基地問題や東北における福島原発問題に通底している点だと思う。

 自分の問題ではないから、といって目を背け、「いつまでも国に頼るな」などという信じがたい言葉さえぶつけるようになる。

 東日本大震災以降、実に多くの課題が有権者に突き付けられた。特定秘密保護法、集団的自衛権の行使容認、安全保障法制。そして共謀罪、憲法改正。

 一つ一つを精査する余裕がない。ジャグリングのボールがどんどん増え、処理する限界を超えたとき、ボールの一つを手にしてじっくり考察するのではなく、全てを放棄してしまった。まぁいっかと認めてしまった。

 その結果が原発再稼働であり、目前に迫る共謀罪の成立だ。その先にあるのは、安倍首相が在任中の悲願として挙げる「憲法改正」に他ならない。

日々の余白のなさ


 共謀罪と憲法改正は、その議論の進め方が近似している。つまり、争点を見失わせ、じりじりと詰め寄り最後は諦めさせる。

 改憲について安倍首相はこう発言している。

 〈どの条項をどう改正するかは、国会や国民的な議論と理解の深まりの中で、おのずと定まってくる〉(2016年1月7日、参院本会議)

 はっきりとした考えを示さずに、ふわっと大きな言葉を投げかけ、実際にはじわじわと詰め寄り、最後は「理解は得られた」と言い切り強行する。

 同じ仕組み、同じシステム、同じプロセスを使って事をどんどん一方的に決めていく。共謀罪が成立すればこの手法にさらに磨きがかかるだろう。

 共謀罪そのものも恐ろしいが、このフォーマットを安倍政権が頻繁に使い、政治目標を次々とクリアさせていることにこそ恐怖を感じる。

 こうした局面において、私たちには何ができるだろうか。


武田砂鉄さん
武田砂鉄さん

 日頃、知人と話していて、政治を話題にしにくくなっている感覚を持つ。露骨に嫌な顔をされてしまう。「日々の余白のなさ」が背景にあるのかもしれない。SNS(会員制交流サイト)をチェックし続け「いいね!」と同意を繰り返しながら、毎晩夜遅くに帰宅すれば、わずかに残された自由時間にニュースを見て問題を考え込もうとは思わない。「政治? いや、それどころじゃないんだよ」となる。

 個人と社会の接続の時間が削り取られていると感じる。こうした希薄化が政治の暴走を容易にしているのではないか。

 だが安倍政権がこうした状況を生み出したかと言えばそうではない。起きている現象はむしろ逆で、多くの人が「そのうち財布が潤うなら思想はどうでもいい」と考えることによって保たれている長期政権だ。

 自分たちに確保された自由が剥奪されていることへの鈍感さは、10年前だったら考えられなかったレベルにある。共謀罪が繰り返し廃案になったのは10年前だ。

 2015年11月。安全保障法制の成立後、神奈川新聞のインタビューで私は「憤りの記憶を忘れずに、継続して指摘し続けよう」と呼び掛けた。

 それから約1年半。問題がさらに山積し、失言は繰り返され、鈍感になり、権力の暴走は一層加速している。

 北朝鮮情勢を巡り、トランプ大統領と安倍首相が電話会談を重ね、共同訓練を繰り返している。北朝鮮への先制攻撃をも辞さないと強弁する米国に対し、安倍首相は全面支持している。

 これって、軍事力の行使につながる判断であって、憲法に抵触するのではないかと問うべきだ。

 だがそう言ったところで唇寒しだ。暗澹(あんたん)たる気持ちになり、指摘することがばかばかしくもなってしまう。

 だが、その都度、ばかばかしいからと言いながら無視してきたからこその今なのではないか。

 発言に力を込めること自体、正直ばかばかしいと思うこともある。徒労感もある。神奈川新聞が安倍政治のありようを問い続ける姿に「まだやっているのか」と思ってしまう自分がどこかにいる。

 「言い続けよう!」と繰り返すのはちょっとダサい感じがする。達観することで考えるのを止めたほうが目の前の社会を生きる上では効率的ではある。でもそれでいいのか。

 「まだ言っているのか」と思われながらもそれでも言う。為政者が「さっさと忘れて欲しい」と切望しているならば、「いや自分は忘れていないぞ」と言い続けるしかない。

【構成=田崎 基】


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