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元なでしこ矢野喬子さん、母校で挑む第二の夢/横浜

スポーツ 神奈川新聞  2013年06月06日 23:06

部員の練習を見守る矢野コーチ(右)=平塚市の神奈川大湘南ひらつかキャンパス
部員の練習を見守る矢野コーチ(右)=平塚市の神奈川大湘南ひらつかキャンパス

現役時代、その対人の強さから「なでしこの屋台骨」と評されたDFが、指導者の道を歩み始めている。サッカーの日本女子代表として2011年のワールドカップ(W杯)優勝など数々の栄光に輝いてきた矢野喬子さん(29)。ことし3月に神奈川大女子サッカー部のコーチに就き、選手とともに母校のグラウンドを駆けている。

「さあ、声出していこう」。土砂降りの雨の練習場に元気な声が響く。雷が落ちて練習が中止になると、グラウンドの水たまりにヘッドスライディング。現役時代と変わらず、無邪気に部員に接している。

「夢は花屋さんか、ケーキ屋さんになることだった」。そんな少女が5歳上の兄の影響でサッカーを始め、神大時代に代表に選出。以降もなでしこの一員として歩みを続けた。だが、11年のW杯ドイツ大会優勝に輝く時まで、サッカーで暮らしていくことなんて想像していなかった。

どちらかというと消極的で人見知り。「高校時代に仲間と会話した記憶はあまりない。どこか強がって、声を出すのが格好悪いとも思っていた。指導者とは正反対の性格だった」という。

価値観ががらりと変わったのが代表での日々だった。「強いチームには声を出して引っ張る選手が中心にいて、みんながそれに応えていた」。MF澤(INAC神戸)のプレーやGK山郷(AS狭山)の声で、短期間ながら、みるみるうちにまとまった。

「イメージを共有できなきゃ、ボールもつながらない。サッカーは一人でやっているわけじゃない」。コミュニケーションの大切さに気付き、指導者への思いを強くしたという。

引退後、多くのチームから指導者としての誘いを受けた矢野コーチ。卒業後もW杯出場時に垂れ幕を出し、セレモニーも開いてくれた母校に「恩返しがしたくて」とコーチ就任の要請を快諾した。

練習は週6日。平日は午前9時から午後3時ごろまで同大の横浜キャンパス(横浜市神奈川区)で事務をこなし、夕方から湘南ひらつかキャンパス(平塚市)で2時間半ほど指導する。

大学サッカーと日本代表の二足のわらじを経験した矢野コーチならではの思いがある。「なでしこに選ばれる大学生が少ない」。初代表の当時、大学生で名を連ねたのは当時日体大のFW丸山(大阪高槻)との2人だけ。「海外には大学生の代表選手はたくさんいる。大学より高校が注目されている現状を逆転させたい。まずはこのチームから代表選手を輩出する」。第二の夢は25人の部員とともに始まった。

◆やの・きょうこ

横須賀シーガルズ、湘南学院高を経て2003年に神奈川大に入学。1対1の強さに定評があるDFとして同年のW杯アメリカ大会に出場し、2年時の04年アテネ五輪でも代表入り。大学卒業後はなでしこリーグの浦和に所属し、W杯、五輪とも3大会連続で出場した。国際Aマッチ74試合1得点。ことし1月に現役引退を発表し、3月から同大女子サッカー部のコーチを務める。横浜市金沢区出身。29歳。

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指導者としての抱負を語る矢野コーチ
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