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福島から横浜へ避難の夫婦、故郷への思い胸に交流会/相模原

社会 神奈川新聞  2013年04月10日 13:09

相模原市内で開かれた避難者交流会に参加した夫婦=6日、同市中央区の職員会館
相模原市内で開かれた避難者交流会に参加した夫婦=6日、同市中央区の職員会館

一歩を踏み出す手がかりを探し、夫婦は横浜市泉区のアパートを出て、相模原市へ向かった。東京電力福島第1原発事故の避難者。「以前の暮らしは早く忘れなければ。そうでないと残りの人生と向き合えない」。始まりの春。なのに2人の思いはふるさとに残されたままだ。

咲き残った桜を降りしきる雨が散らした6日午後、夫婦は寄り添うように席に着いていた。「いまとこれからをどう生きればいいのか。同じ境遇の言葉なら響くかもしれない」。相模原市で開かれた福島からの避難者の交流会に、すがる思いで足を運んでいた。

ともに57歳。福島で生まれ育ち、結婚を機に構えた自宅は原発10キロ圏内、浪江町の田園にあった。

春は庭先のしだれ桜が咲き誇り、秋になれば目の前に黄金色の稲穂が揺れた。

立ち入りは制限され、除染は手つかず。帰還のめどは立たない。神奈川県から家賃の補助を受けながらアパートでの仮暮らしが続く。

体も元気なのだから、きちんと住まいを決め、仕事にも就かなければ、と思う。でも踏み切れない。

夫は「すべてがゼロに戻った。職探しのエネルギーが湧かない」。

自動車販売会社に勤め、2人の子どもを育て上げた。ローンを払い終えた自宅は、その証し。家が惜しいわけじゃない。「しだれ桜は、子どもの入学式で植えた記念樹だった」。失われたのは、家族だんらんの記憶と春を待ち遠しく思う、夫婦のささやかだが、かけがえのない日常だ。

頭のなかでは諦めたつもりの妻も同じ気持ちだ。「こちらに住み、働くということは、福島とのつながりを絶つということと同じだから」

テレビのバラエティ番組を見ていて、涙がこぼれる。「目の前に楽しい世界が広がっているのに、自分にはよそ事にしか思えない」

まちなかの雑踏で、泣く。「よって立つ場所を失った自分は透明人間のよう。大勢の人がいるのに、自分はそこにいない」

都内に暮らす息子と娘に会う機会が増えたことをせめて喜ぼうと、自分に言い聞かせる。

交流会の参加者との会話は弾まなかった。目上の人が多く、故郷を懐かしむお年寄りの話はかえってつらかった。

2人の口の中に、ふいによみがえった味の記憶。「自宅の敷地で摘んで、かき揚げにして食べたものです」。タラの芽の独特のほろ苦さ、福島の春の味だった。

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