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津波そのとき 震災2年〈3〉危機感 車避難やむを得ない

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神奈川新聞  2004年06月06日公開  

 「渋滞を避けるため、できるだけ複数人で」「津波による危険が切迫した場合は、鍵を残したまま自動車を乗り捨て、近くの高い場所に避難」

 東日本大震災の1年後にまとまった「九十九里版津波避難に関するガイドライン」。避難の原則は「徒歩か自転車」だが、東北では渋滞による逃げ遅れを招いた車の使用も認め、その際の注意点を具体的に示した。外房の14市町村や千葉県の出先事務所、気象台の担当者らが、広域的な被害をもたらす津波から住民の命を守るにはどうすべきか額を突き合わせた成果だ。

 内陸まで平地が広がる地形的特徴や住民の高齢化を考慮すれば「車での避難はやむを得ない」(県山武地域振興事務所)。例えば九十九里中部に位置する人口5万7千の山武市では震災時、避難者の実に9割が車を使った。

 近くの高台へ車で逃げた旭市の男性は「体調が悪かったので車しか考えられなかった。徒歩の原則も分かるが、現実的には高台への道を広げたり、駐車場を増やしたりできないものか」と訴える。

 当時はそろっていなかった避難呼び掛けの基準も統一した。津波警報が発表されれば避難勧告、大津波警報では避難指示。「防災無線の放送内容がばらつき、隣町へ避難した住民の所在確認に手間取ったことへの反省」(同)からだ。

 山武市を中心とする6市町の避難場所を示したマップも今月完成。「行政区域に関係なく、近いところに逃げて」と呼び掛ける。

 九十九里浜は全長約60キロに及ぶ。旭市以外にも深刻な被害が生じたが、より高い10メートル級の津波に襲われた歴史もある。1703年に起きた元禄関東地震。2千人以上が死亡したと伝えられ、犠牲者を悼む碑や供養塔が各地に立つ。

 震災で直面した「現実」と、より厳しい津波が押し寄せた「過去」。それだけに津波に対する危機感が地域を超えて共有され、遠くない「未来」をにらんだ備えが進む。

 2年前、三陸沖の海底から始まった震源域の破壊は茨城沖で止まり、隣接する房総沖は地震のエネルギーが蓄積されたまま。次に大きな地震・津波が発生するのは房総沖だと、多くの専門家が警戒している。

 その対策を迫られる千葉県が行った津波予測は独特で、東京湾口を含む沿岸各地に10メートル級の津波が押し寄せてきた場合の浸水域を示した。「特定の地震名を挙げても、津波が切迫した状況では、どこでどんな地震が起きたか気にする余裕などない。とにかく安全なところまで逃げる意識を持ってもらう」(防災計画課)ことを狙った。

 海岸線から8キロも平野が続き、10メートル級で5キロほど内陸まで浸水する山武市は「津波対策100年計画」の策定を急ぐ。目標とする30分以内の避難は徒歩では難しい可能性があるため、車を「重要な避難手段」と明確に位置付け、乗り捨てた車が妨げにならないような幅員の道路整備を進める。

 ◆外房における震災時の津波概況
痕跡高(メートル)と浸水面積(平方キロ)

旭市    9.1    3

匝瑳市   6.7    1

山武市   5.6    6

九十九里町 5.4    2

一宮町   6.3    1

※痕跡高は土木学会、浸水面積は国土地理院の調査


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