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津波そのとき 震災2年〈2〉旭市(下) 伝え続ける思い胸に

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神奈川新聞  2004年06月06日公開  

 津波の被害を語り継ぐ。それは「想像以上に大変な作業」と、千葉県旭市上永井の渡辺昌子さんは明かす。「被災者と一緒になって涙が止まらなくなったこともある」。東日本大震災の2カ月後に始めた被災者への聞き取りを今も続ける。

 「廊下の鴨居に両手でぶら下がり、水は首まできたが何とか息ができた」「玄関の戸を突き破って、黒い大津波が押し寄せた。そのまま勢いよく風呂場の方へ押し流されてしまった」。生々しい被災体験を聞き取った相手は百数十人。知人の協力を得て、夫の義美さんとともにA4判1枚の「復興かわら版-いいおか津波-」に毎月まとめ、市内に配っている。

 旭市の被害が拡大した背景には、後続波がより高くなったことがある。避難先から自宅に戻ったり、海の様子を確認しに行ったりした人が次々とのまれた。

 2011年3月11日の本震から2時間半以上がすぎた午後5時26分。最大波到達の瞬間に、向後充さんは海沿いの県道で車を走らせていた。今も自らの行動を省みる。「津波はもう収まったと思って。そしたら真っ黒い波が一気に護岸を越え、道路に流れ込んできた」。すぐに車を降りたものの足が浮き、あっという間に流された。「建物にしがみつき、なんとかこらえたが、詳しくは覚えていない」

 県道沿いの公園には今年2月、「津波到達高 海抜7・6メートル」と刻まれた大津波の石碑が建った。発案した飯岡ライオンズクラブの会長として除幕式に参加した向後さんは言う。「津波のことを語りたくない人も多い。でも、地域としては決して忘れてはいけない。目立つ場所に石碑があれば、忘れることはないだろう」

 石碑の下に埋めたタイムカプセルには、風化を防ぐ狙いがある。収められているのは、小中学生の作文。子どもたちが大人になる30年後に開封し、「津波のことを語り継いでほしい」と願っている。

 被災者の証言を集め続ける渡辺昌子さんも、教訓をどう引き継いでいくか思いを巡らせる。

 「復興かわら版」の聞き取り成果や津波を捉えた写真を載せて昨年刊行した記録集は、今年に入り市教育委員会が700冊購入。地道な取り組みが小中学校の防災教育につながった形だが、2年を経て被災者の言葉に微妙な変化も感じている。

 「仮設住宅を出て、かつての日常を取り戻すと、被災体験をあまり語らなくなる。それが復興であり、また風化なのかもしれない」。そう思うからこそ、伝え続ける。


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