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津波そのとき 震災2年〈1〉旭市(上) 再起の一歩踏み出す

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神奈川新聞  2004年06月06日公開  

納車されたトラックを見上げ、再建への思いを新たにする渡辺さん=2月26日、千葉県旭市
納車されたトラックを見上げ、再建への思いを新たにする渡辺さん=2月26日、千葉県旭市

 「復旧」から「復興」へ-。その掛け声とつち音は首都圏にも響く。11日で丸2年となる東日本大震災で千葉県最大の津波被害に見舞われた旭市。東北3県の沿岸部に比べれば被害は激しくなかったが、だからこそ住民が直面する困難と経験は神奈川にも生きる。

 「さっそく今日から走らせなくちゃ」

 2月26日午前9時、旭市平松。弓なりに延びる九十九里浜の北端に位置するその場所で、電柱の施工を専門に手掛ける「渡辺電設」の社長、渡辺博文さん(55)が、納車されたばかりのブルーの20トントラックをまぶしそうに見上げた。「ようやくだね。新車だし、やっぱり気持ちが明るくなる。しっかり前を向いて、ここでがんばる」。クレーンの操作を確かめながら目を細めた。

 予想だにしなかった津波に見舞われた「3・11」から、本格的な再起のスタートラインに立つまで2年近く。会社事務所2階の窓から、なすすべなく津波を見つめた「あの日」の記憶は、今もはっきりと残る。

 海岸までは、わずか数十メートル。2波、3波と繰り返す津波を前に身を守ることなど忘れ、「とにかく頼むから車だけはのみ込まないでくれ」と祈り続けた。しかし、車庫に止まっていた高さ3メートル余りの大型トラックさえも完全に水没。残土を運搬する中型トラック、地面に穴を掘る特殊な設備を備えた建柱車。程度の差はあるものの、所有する8台がすべて津波に浸り、生活の糧を失った。

 「2人の娘から、涙ながらに仕事をやめるよう懇願されてね。今まで休みもなく働いてきたし、これ以上苦労する必要もない。そろそろ潮時かな、とも思ったんだけど」

 再び前を向くきっかけは、ほかならぬ被災した街並みが与えてくれた。見渡すと、無残に倒れ、傾く電柱が、あちこちにあった。もちろん、かつて自らが建てた電柱も。「使命感だよ。これは俺がなんとかしなきゃって」

 つてを頼ってトラックを借り、水没した車を数百万円かけて修理。傾いた電柱を直し続けた。

 浸水後、部品交換を重ねて何とか乗り続けてきたトラックからは、津波が運んできた砂が今もこぼれ落ちる。まだ走れる状態だが新車に乗り換えたのは、後継者になる高木寿さん(30)へ再建のたすきをつなぐと決めたからだ。

 ただ、背負ったローンは数千万円。再建の道は決して平たんではない。

 東日本大震災の津波で被災した千葉県旭市の渡辺博文さん(55)がトラックを新調し、再起の一歩を踏み出した2月26日午前。内陸に位置する同市役所では明智忠直市長が力を込めていた。

 「被災者の生活再建や災害に強い地域づくりにスピード感を持って取り組む」

 この日開会した市議会第1回定例会。2013年度の施政方針演説で、延長11キロに及ぶ海岸線への防護施設や内陸部に通じる避難道路の整備などを挙げ、重点プロジェクトである「複合的な津波対策」を進めると強調した。震災以前はなかった避難タワーの建設が2カ所で進むなど「次」をにらんだ備えは形になりつつある。

 5年で完了を目指す復興計画によると、「復旧期」は12年度で終了。13年度から本格的な「復興期」に入り、入居期限3年の仮設住宅に代わる災害公営住宅の建設もスタートする。

 復興への歩みは東北3県のそれより明らかに順調だが、いち早く仮設を退去した同市飯岡の仲條富夫さん(65)は実感を込める。「公的な復旧は早かった。でも、個人の復興は思うようにいかない」

 全壊した海沿いの自宅跡地に新たな家を建てたのは、震災が起きた11年の暮れ。家の基礎を高くしつつ、足元までの掃き出し窓をやめて腰高窓にしたのは、浸水を防ぐためだ。

 慣れ親しんだ土地で家族と暮らす喜びをかみしめる一方、顔なじみの住民と顔を合わせては首をひねる。「風が強くなったな」

 内陸の穀倉地帯を含む市域130平方キロに対して、津波で浸水したのは海沿いの3平方キロのみ。津波再来時の危険回避のため住宅の新築などが禁じられた区域はないものの、利用策の決まっていない更地が点在する。古い木造がひしめいていた仲條さんの地元には「6割ぐらいしか住民が戻っていない」という。くしの歯が欠けたような家並みは、外房の海から吹き付ける潮風を遮らなくなった。

 津波が不安で海沿いに戻りたくない人、住宅の再建資金を工面できず戻れない人。震災はそれぞれの暮らしの課題をあぶり出す。仲條さん自身、長男が同居していなければ住宅ローンは組めなかった。内陸への転居も頭によぎったが、海沿いの地価は大幅に下がったと聞き、土地を売る選択肢などなかった。

 仮設には今も約120世帯、300人余が暮らし、単身や2人住まいの高齢者が多い。被災したお年寄りたちは、地区社会福祉協議会の会長に就いている仲條さんに本音を漏らす。「こんなに苦労するなら、助からない方がよかった」

 約7万人だった市の人口は、この2年間で千人余り減った。


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