語り継ぐ母の記憶、魂の叫び|カナロコ|神奈川新聞ニュース

語り継ぐ母の記憶、魂の叫び

被団協事務局次長 和田 征子さん

長崎で被爆した和田征子さん。フランシスコ法王の前で原爆の非人道性を訴えた=2017年11月、ローマ法王庁(和田さん提供)

 それは、特別な場所での特別な時間だった。「祈りで始まり、祈りで終わりました」。日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の事務局次長、和田征子(まさこ)さん(74)=横浜市鶴見区=が鮮明な記憶をたどる。

 昨年11月、カトリックの総本山ローマ法王庁(バチカン)。平和、人間性の開発、軍縮がテーマの会議で、フランシスコ法王やノーベル平和賞受賞者、学者ら約300人を前に訴えた。

 「生き残った罪悪感、偏見や差別、諦めた多くの夢。被爆者の苦しみは、いまも続いています」

 キリスト教を教育理念とした中高一貫校で学び、21歳で洗礼を受けた。信仰に生きる者として、そして被爆者として、鳴りやまぬ共感の拍手に感謝し誓った。

 「これからも世界のために語り継いでいこう」

 長崎の自宅で被爆した。当時1歳10カ月。母が繰り返し語った体験は、いつしか私の記憶となった。

 爆心地から2・9キロ。爆風が自宅を襲い、粉々になった土壁やガラスが30センチ以上も積もった。青い山並みが茶色に変化。火を逃れようと山道を下る人々の肌は焼けただれ、アリの行列のようだった。自宅横の空き地では遺体が連日燃やされ、その数やにおいにさえ誰もが無感覚になった。和田さんは人間の尊厳を思い、「人はそのように扱われるために創られたわけではない」と憤る。

 戦後、生活は一変した。晴れ着姿のお正月、両親や弟と出掛けた家族旅行、母の手編みのセーターが自慢だった幼少時代…。アルバムをめくっても被爆者としての歴史は見当たらない。大学時代に短期留学し、結婚後も夫の転勤で渡米したが、被爆者として強く活動することもなく帰国した。

 心持ちに変化を感じたのは41歳の時、東京の被爆者団体への入会だ。証言集をまとめる中、「被爆者の肉声を聞くことは魂の叫びに耳を傾けること」との思いが深まった。

 それはまた、自身と向き合うことでもあった。

 振り返れば、大人たちが集まると決まって原爆が話題となった。顔をしかめる母を見て、語るたびに当時に引き戻されるのだと感じた。アルバムは笑顔で満たされていても、日常の中に原爆の影が潜んでいた。自身は血液検査で異常が見つかり、街を歩けばケロイドになった人とすれ違った。

 最初から被爆者として生きてきたわけではない。「被爆者だという自覚は日常の中で自然に生まれ、被爆者の方々との会話を重ねる中で『伝え手になる』との考えが芽生えた」

 それでも、直接的な記憶がない自分が語っていいのかと逡巡(しゅんじゅん)は続いた。

 転機は広島で被爆したカナダ在住のサーロー節子さんとの出会い。スイスのジュネーブで16年、国連の作業部会の会議で行動を共にし、温かみある人柄に引かれた。自らのためらいを吐露すると「お母さんの言葉を聞いて育ったからこそ、他の人より多くを知っている。あなたのように若い人が話してくれることがうれしい。語っていいのよ」。気負わず、母の言葉をそのまま伝えていこうと覚悟が固まった。

 聖書を心のよりどころとし、手元に置く。「核軍縮は心の根にある悪意や殺意、恨みといったわだかまりを解き放ってこそ実現できるもの。全ての人を受け入れる心を持つことが永続的な平和につながる」。その思いは、戦争は人の心の中から始まるとの教えから導かれた。核なき未来を願い、母の記憶を自身の体験として語り継ぐ。善なる人を信じて-。

 「核を作ったのは人間。ならば、なくすことができるのも、また人間でしょう」 

PR