三島由紀夫「金閣寺」 「絶対」とは何だったのか?|カナロコ|神奈川新聞ニュース

三島由紀夫「金閣寺」 「絶対」とは何だったのか?

日本文学あの名場面/平野啓一郎(小説家)

  • 神奈川新聞|
  • 公開:2018/03/18 12:13 更新:2018/06/12 20:37

「金閣寺」の一場面を拡大して読むにはこちらから(PDF)


 『金閣寺』は、1950年の鹿苑寺金閣の放火事件に取材した三島由紀夫の長編小説で、発表は1956年、作者が31歳の時である。作中で非常に大きな意味を持つ第2次大戦終結から11年を経ている。

 物語は、外形的には当該の事件をなぞっているものの、実質は作者の自由な創作である。

 色々な意見はあるだろうが、私はやはり、三島の最高傑作は、この『金閣寺』ではないか、と思う。

 本作は、彼の長編小説としては、『仮面の告白』と並んで例外的な一人称のモノローグで綴(つづ)られており、その実人生の原体験と衝撃的な最期とを切り結ぶ思想の根源が、代名詞とも言うべき、逆説に富んだ華麗な文体で余すところなく語り尽くされている。

 主人公の内省はどこまでも暗いが、その言葉は煌(きら)びやかで眩(まぶ)しく、両者の強烈なコントラストが、一種異様な、極めて独創的な文学世界を現出せしめている。

 引用したのは、敗戦の日に、主人公が金閣と向かい合う決定的な場面である。

 彼は、「絶対」的な美の象徴と信ずる金閣と、空襲によって、共に焼け滅ぼされる一体化の夢を見ていた。ところが、戦争が終わり、今後は、金閣は永遠の世界に安住し続け、自分は死すべき存在として日常世界を生きることになるのだという認識が、ここでの慨嘆である。

 この後、その断絶にも拘(かかわ)らず、金閣の美の魅惑は、主人公を依然として拘束し続け、現実から疎外し続ける。主人公は、終(つい)には金閣を「焼かねばならぬ」と決意し、それを実行する。末文に置かれた「生きようと思った」という彼のつぶやきは有名である。

 三島はその後、姉妹篇とも言うべき長編『鏡子の家』で、まさにニヒリズムの時代を「生きよう」として挫折する青年たちの姿を描く。三島が、40代になって政治思想運動を活発化させるのは、この戦後社会への適応の努力のあとであり、その時に、彼が最大限、強調したのが「絶対者としての天皇」だった。

 とすると、本作中で共に滅びることによる神秘的合一が期待されていた「絶対」の象徴たる金閣は、天皇のメタファーとして読解可能だろうか? 最後にそれを焼き滅ぼすことは、戦中的なるものとの決別という、作者自身の決断だったのだろうか? 或(ある)いは、金閣は、そもそも個人を脱政治化させる、戦時体制への対抗的な、もう一つの「絶対」だったのだろうか? 『仮面の告白』に於(お)いて、園子という女性への愛にそれが期待されたように?

 謎の多い三島の生涯を理解する鍵がここにある。

文学者の集いである「飯田橋文学会」のメンバー、平野啓一郎さん、田中慎弥さん、阿部公彦さんロバート キャンベルさん、中島京子さん、鴻巣友季子さんが神奈川新聞に連載します。

※次回は4月1日、田中慎弥さん。

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