「慶応時代」の象徴 慶応 白村明弘|カナロコ|神奈川新聞ニュース

「慶応時代」の象徴 慶応 白村明弘

現役ヒーロー編 41/100

  • 神奈川新聞|
  • 公開:2018/02/14 02:00 更新:2018/02/16 14:41
神奈川高校野球100回大会 慶応にとって49年ぶりとなる秋の県大会優勝を報じる神奈川新聞は、こう見出しを打った。

 慶応時代到来-。

 旋風の中心にいたのが、白村明弘(26)だった。エースは大会6試合で44イニングを投げ、わずか3失点。決勝も1失点で完投し、日大藤沢を7-1で退けた。

 2008年のことだ。直前に46年ぶりの夏の甲子園でベスト8に入った慶応の勢いは、新チームになっても加速した。関東大会も制し、3季連続の甲子園を決めた。明治神宮大会も、初出場で初優勝を果たした。

 「日本一」は、慶応普通部時代の、1916年の第2回全国中等学校野球大会(現在の夏の甲子園)以来92年ぶりという、まさに快挙だった。

 「3回戦で東海大相模に(8-1で)コールド勝ちして、良い意味でチームが勘違いした。あれで自信をつけて、準々決勝で桐光学園にもコールドでしたから」

 当時、県内の指導者は、ため息交じりによくこう話していた。「慶応が『あれ』をやり出したら、きついよ」

 「あれ」とは同校が2002年から採り入れた、スポーツを含めた推薦による入学制度だ。高い学力が求められるが、落第しない限り慶大へ進学でき、東京六大学野球への道も開ける。ライバル校には太刀打ちできない「特典」に、全国から文武両道の逸材を集めるだろうとささやかれた。

 最初の結実となったのが、エース中林伸陽(現・JFE東日本)を擁しての、45年ぶりとなる選抜甲子園出場(05年)だった。そして白村が遠く岐阜県から慶応の門をたたいたのも、まさに「中林さんが甲子園で投げるのを見て、慶応はほかのチームとは違うなと思ったから」だった。

 高校で最速147キロを投げた186センチの大型の豪腕はだから、「慶応時代」の象徴でもあった。
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