安部公房「箱男」 運命の出会い 文学の魔道へ|カナロコ|神奈川新聞ニュース

安部公房「箱男」 運命の出会い 文学の魔道へ

日本文学あの名場面/鴻巣友季子(翻訳家)

  • 神奈川新聞|
  • 公開:2017/11/26 11:42 更新:2018/06/12 20:49

「箱男」の一場面を拡大して読むにはこちらから(PDF)


 「人類といふやつはそろそろ滅亡したはうがよささうだとしても、さしあたつて人間の生き方になにか新しい形式を見つけることができないものだらうか。安部公房君は新作『箱男』においてその智慧を出して見せた」

 昭和48年3月に刊行された『箱男』に、作家の石川淳はこんな賛辞を寄せた。確かに、なんと新しい、新しい小説だったろう。わたしはこの名著と15歳の夏に運命的な出会いをはたし、その毒にあてられて、それまで大切に読んでいた『赤毛のアン』や『風と共に去りぬ』といった外国小説をいったん脇に置き、文学の魔道に誘いこまれていった。

 箱男とは、ダンボール箱を頭から腰まですっぽり被り路頭に暮らす人間のこと。名前や立場や肩書などをみずから放棄した「匿名者」であり、作者いわく、「不在証明を手に入れ、存在証明を手離した」誰でもなく誰でもある存在である。今の読者であれば、ダンボールやビニールシートで住まいを作って生活するホームレスを思い浮かべるかもしれない。しかし路上生活者と似て非なる箱男とは何者ぞ?

 本書が刊行された昭和48年といえば、第1次オイルショックの年だ。トイレットペーパーが品薄となり大人たちが奔走していたのを覚えているが、この頃を境に、都市部に浮浪者が増えだしたのだという。安部公房はそうした街の変化を、それ以前からいち早く捉えていたのだろう。実際、浮浪者のなかには、高度経済成長の波にもまれて疲弊し、何もかも放擲(ほうてき)して自ら路上に出た者もいたのかもしれない。

 箱男は人から人に「感染」する。引用の場面では、箱男に軒下に住みつかれ、空気銃で追い払ったAという男が、翌日から自身が次第に箱男化していく様子が描かれている。箱に覗(のぞ)き窓を開ける様子や、箱内部の臭いの描写が生々しく、とり憑(つ)いて離れない。私まで箱男になりそうだ。

 本書の大半は、箱男「ぼく」の日記として一人称で綴(つづ)られるが、「ぼく」の視点では見えないはずのことも書かれるし、所々に新聞記事や供述書や写真なども出てくる。誰が見て、見られているのか? 読者に語りかけ、綴り、これらを私たちに見せているのは誰なのか? 贋(にせ)箱男やら、名義を貸す者やら、「きみ」やらも登場して、語り手の正体はどんどん怪しくなっていく。

 それは、近代小説が辿(たど)りきた道の実(まこと)しやかな舗装を引っ剥がすような行為でもあり、世界文学に繋(つな)がるハイパーロードを築く行為でもあった。その危険な耀(かがや)きは今もまるで色褪(あ)せることがない。


文学者の集いである「飯田橋文学会」のメンバー、平野啓一郎さん、田中慎弥さん、阿部公彦さんロバート キャンベルさん、中島京子さん、鴻巣友季子さんが神奈川新聞に連載します。

*次回は12月10日、平野啓一郎さん。

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