神奈川新聞と戦争(57)1933年 非常時に慣れさせる|カナロコ|神奈川新聞ニュース

神奈川新聞と戦争(57)1933年 非常時に慣れさせる

1933年8月10日付1面に掲載された関東防空大演習の模様。写真上は松屋の屋上、下は横浜公園

 弾道ミサイルを想定した県内初の避難訓練が19日、平塚市で行われた。国が4月に自治体に要請したものだ。会場には全国瞬時警報システム(Jアラート)の音声が流れた。アラーム音や「ミサイル発射」「防御姿勢を取ってください」などのアナウンス。29日には北朝鮮のミサイルが日本上空を通過した。戦時の空気が近づいた。

 重なる出来事がある。84年前の1933年8月、3日間にわたり行われた関東防空大演習だ。

 本紙の前身、横浜貿易新報(横貿)の8月9日付は「防空演習の本舞台 愈(いよいよ)けふ県一帯に空襲来」の見出しで伝えた。「帝都の空を護(まも)れ!関東一帯一府四県の官民一万五千を動員して行はれる我国未曽有の関東防空大演習は関係各部隊、官衙(かんが)団体の全神経を極度に緊張さして愈々(いよいよ)今九日本舞台の幕を切つて落とさる」

 日米開戦は41年12月、本土初空襲は42年4月、空襲の本格化は44年秋以降。中国大陸では31年に満州事変があり、断続的な戦闘があったとはいえ、市民に空襲の実感はなかっただろう。

 その時期に「大演習」を行った国の狙いを、戦時下の防空を巡る大前治の著書「逃げるな、火を消せ!」は「疑問や恐怖心を与えず高揚感をもって戦争協力に向かわせる空気づくり」にあった、と指摘した。

 こうした大規模な防空演習は28年7月の大阪を皮切りに41年まで全国で行われたという。「いずれも兵士だけの軍事訓練ではなく市民を巻き込んだ大々的なイベント」(同書)だった。

 イベントとは軽い表現だが、例えば33年8月9日付の横貿にある「県市民は一歩家を出づれば到(いた)る所(略)壮烈な演習を見ることが出来やう」といった記述からは、まさに県民挙げての一大イベントだったことが伝わってくる。

 翌日の横貿の1面には、横浜・伊勢佐木町通りにあった百貨店の松屋の屋上に据え付けられた迎撃用とみられる機関銃や、横浜公園に立ち上る訓練用の黒煙の写真が掲載された。大都市の繁華街に出現した「非日常」。危機への備えという名目で、人々は戦時モードに慣らされていった。

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