八月二十五日、いつもと同じように新聞をめくりながら目を通していると、気になる記事を発見した。それは、オーストラリアで開催される世界最大級のソーラーカーレースに二連覇をかけて参加する東海大学のチームが、ソーラーカーの新車両とチーム体制を発表したという内容の記事だった。
僕はこの記事を見て、同じレースの前回大会の様子を二年前にテレビで見ていたことをふと思い出した。その番組は生中継ではなくダイジェスト版のようになっていたと思うが、シャープ製の太陽電池を搭載した東海大学チームのソーラーカーが優勝し、チームのメンバーが大喜びしている様子を見て、改めて日本のものづくりの技術の素晴らしさを感じたのを覚えている。また、太陽光発電によるエネルギーの活用について考えてみるきっかけになったことも記憶に残っている。
そして今回、震災が有った年でありながらも、東海大のチームが二連覇を目指して「ワールド・ソーラー・チャレンジ」に挑戦することをとても嬉しく思う。また、記事に書かれているように、「日本が得意とするエネルギー技術、ものづくりで日本を元気にしたい」と東海大が意気込んでいることにはとても感心した。自分達の技術の力試しのためだけにレースに参加し、ただ単に一番になりたいという考えではなく、日本の技術力は世界に堂々と誇れるものなんだということをソーラーカーレースで証明し、国難に見舞われた日本を元気付けようといった考えはとても素晴らしいと思う。そのような気持ちが、今まさに必要とされているのではないだろうか。
震災により原子力発電所の事故が発生し、原子力発電に依存しないための新エネルギーが注目され、期待が高まっている。そんな今だからこそ、元は住宅屋根用に開発された太陽電池を搭載した東海大のソーラーカーが大きな活躍を見せれば、これまで以上に太陽光発電の可能性が広がっていくと思う。しかし、ソーラーパネルの大量生産には相当なコストがかかり、製造過程においては有害物質が発生すると言われている。それでも、日本の技術開発力なら解決できる問題だと思うので、これからに期待したい。
僕はこの記事の写真を見て、東海大のチームのメンバーの表情がとてもいきいきとしていることに気がついた。これから大舞台へ挑んでいくことの期待が有っての表情なのだと思う。また、このような方々は開発に取り組む日々に充実感を感じながら生きているのだと思う。毎日のように難題と向き合い、当然大変だとは思うが、達成感も大きいのではないだろうか。自分の好きなことに一生懸命取り組みながら、日本の技術発展に貢献している姿はとても羨ましい。
僕はこの記事を発見することができ、本当に良かったと思う。もちろん東海大のソーラーカーチームを応援すると同時に、二連覇を達成できると信じている。そして、日本の技術と共に、誇りをもって走り続けるソーラーカーの姿を見て、少しでも日本の活気が増すことを心から願っている。
(神奈川新聞 8月25日付)
この夏、私が一番感動し、共感した新聞記事はサッカー女子ワールドカップ初優勝をした、なでしこジャパンについて書かれた記事です。黄色い紙ふぶきの中、W杯優勝トロフィーを掲げた日本選手たちの写真は、とても感動的でした。私もサッカー部に所属しているので、サッカーについて少しは詳しいつもりでいましたが、女子サッカーの歴史や環境については初めて知ることが多かったです。
女子サッカーは、日本代表が初めて編成されてから三十年がたちます。二〇〇四年にはアテネ五輪で八強、二〇〇八年には北京五輪で四強に入りました。しかし、女子サッカーは運営会社の経営難などで多くの企業がリーグを撤退してしまい、サッカーだけで生活が成り立つプロは少ないそうです。主力選手の多くが働きながら練習しているという現実に驚きました。年間を通して使えるグランドを持たないチームもあり、ときにはシャワーがない施設で練習をしている選手さえいます。選手たちは「勝てば注目される。勝てば環境も変わる」という思いでがんばっていたそうです。男子サッカー選手に比べて恵まれていない環境で練習してきた女子サッカー選手たちは、はるかに強い精神力でワールドカップを勝ち抜いたと思います。試合の中での苦しい展開の中でも彼女たちはサッカーが出来る時間をとても大切に楽しんでプレーしていたように感じたのはそのためだと思います。世界一になったのだから、実力にふさわしい環境で練習できるようになってほしいと思いました。
新聞の中で佐々木監督について書かれている記事がありました。佐々木監督はときにはギャグを入れたりするムードメーカーでもあります。選手たちの緊張をほぐし、リラックスさせる力があるそうです。また監督は選手の心を高める人心掌握術も使うそうです。試合前には東日本大震災の映像やその復興に尽力する人たちの映像、女子日本代表三十年の歴史をまとめた映像などを選手たちに見せて彼女たちの気を引き締めたり、チームの一体感を生み出したりしました。今回のワールドカップでは、監督のねらい通りチームに一体感が出ていたと思います。また、被災地の人たちに一瞬でも苦しさを忘れ、勇気と希望を与えられたと思います。記事からは佐々木監督の人柄が伝わり、監督はプレーしている選手たちの大きな支えとなったと思いました。
今後、なでしこジャパンはロンドン五輪に向けてアジア最終予選が始まります。日本国内はもちろん、世界各国から注目されることになります。周囲の期待は大きいけれど、なでしこらしさを忘れずに最後まであきらめないサッカーを見せてほしいと思います。東日本大震災以降の日本国内の重苦しい雰囲気をスポーツの力でこんなに明るくでき、人々に希望や期待を与えられたことに改めて感動しました。
最後に新聞に書かれてある表現が気に入ったのでふれたいと思います。決勝戦の残り三分、ゴールを決めた澤選手について「居合抜きを思わせる美技」「なでしこの至宝」とたたえていました。キーパーの海堀選手について「仲間のねばりを勝利につなげた守護神」「神業にしびれた」。なでしこジャパンについては「雑草の根っこを持つ大輪たち」と表現していました。私は試合に感動し、新聞記事を読んで優勝の裏側にあった数々のことを知り、また感動し、きれいな言葉で例えられた表現に共感させられました。スポーツ同様、言葉の持つ力も人に感動を与えるのだということに気づきました。
(朝日新聞 7月19日)
私の母は、三年前乳がんの手術を行いました。元気だった母が、突然「乳がん」とわかり、抗がん剤などの治療に耐えているのを真近に見ていた私は、(がんとは何て恐ろしい病気なのだろう)といつも思っていました。
そんな時に神奈川新聞七月三十一日付健康面の大きな記事「再発乳がんの新薬発売」に目が止まりました。記事の初めには「全く新しい抗がん剤が使えるようになった。」と紹介されていました。がんが再発されないように毎日薬を飲んでいる母を見ている私は、新しい薬が発売されると思うと、なんだかすごくうれしくなり、母に、「今日の神奈川新聞読んだ?」とすぐ報告しました。薬の発売元である内藤晴夫エーザイ社長は、「日本の学と産の知を結集した有機合成化学の最高傑作、二十年を超える粘り強い努力が実った」と語っています。
一つの新しい薬が開発され、発売される前に二十年の月日がかかったと知り、私はとてもびっくりしました。それは生まれたての赤ちゃんが二十歳の成人になってしまうほどの長さです。途中で投げ出したりせず、コツコツと根気良く研究を重ねて、新しい薬を開発しようとする方々のエネルギーに私は感動してしまいました。
この研究は、一九八五年、三浦半島沖で採取したクロイソカイメンからハリコンドリンBを発見したことから始まりました。六〇〇キログラムのカイメンから分離出来たのは、わずか十二・五ミリグラムだったそうです。私は、この記事を見て何かを作りだすための研究とは、気の遠くなるような努力の積み重ねの上に成り立っているのだと分かりました。学校の宿題や試験勉強でもすぐ投げ出してしまう私には、気の遠くなるような研究に思いました。発見者の上村教授も「自然の美しい分子を培養や発酵でなく全部合成して抗がんにしたのはすごい」と評価しているそうです。
母は、今とても元気になりましたが、私はがんの再発の事がとても気になります。母が咳き込んだりすると、とても不安になります。自分自身も小学生の頃、インフルエンザに二回もかかり、高熱が出ると(このまま死んでしまったらどうしよう)と不安に思ったことがありました。それ以来健康には気を使っていますが「がん」とは外から入る病気ではなく自分の体の中で、自分の細胞が反乱を起こしてしまう病気なのだと父から教わりました。
再発すると手術ができなくなりなかなか助からないと言われている「再発乳がん」の薬が開発されたという事は、いつか近いうちに色々な「がん」の再発に効く薬が発明される可能性も見えてきます。「がん」という病気と戦っている多くの人達にとって勇気と希望が出てくるでしょう。
私はこの記事を読んで、何においてもあきらめないで根気良く続けていくことの大切さを学びました。そしてどんなに小さな事でも人から喜ばれたり、人を助けたりすることを見つけていきたいなと思いました。
(神奈川新聞 7月31日付)
東日本大震災が起きてから早五ヶ月。未だ様々なメディアが震災関係の報道を続けている。たくさんの情報の中で私の目に止まったのは、ある新聞記事の見出しだった。「来て見て実感 本当の被災地」という大きな文字の下には、がれきの中を歩く子供たちの写真がある。子供の目に映る被災地の様子が率直に綴られているようで、思わず読み入った。
埼玉県のNPO「地球元気村」が七月から始めた、被災地を巡って復興を考える親子向けバスツアー「がれきの学校」。その初回に参加した東京、埼玉、山梨の小中学生たちが、テレビの映像だけでは分からない被災地の空気を肌で感じ、子供の目線から何を思うのか。そんな内容だった。
読んでまず驚いたのは、参加した子供の人数だ。一都二県合わせて十人しかいない。私は、今年のゴールデンウィークに被災地へとボランティア活動に向かう予定だった。色々な事情があって、最終的には取り止めになってしまったが、それでも自分の意志で行きたいと思っていた。大地震がもたらした現実を、自分の目でしっかり見ておきたいと思っていた。だから、このバスツアーの参加者がたった十人だということがとても不思議だった。
しかし、読み進めていくうちに分かってくる。「子供に被災地を見せるのはショックが大きすぎるのではないか。」「余震や放射能が心配だ。」「被災地は見せ物ではない。」そういった意見も少なくはないのだ。
しかし、この記事から伝わるのはもっと強いなにかだと私は感じる。情報としては知っていたつもりの、話に聞いてイメージはついていたつもりの、本当の被災地。元は家だった、学校だった、店だった、公園だった、思い出だった、ふるさとだったものが、総じて「がれき」と化してしまう悲劇。それらを目の当たりにした子供たちの葛藤こそ、この記事全体から読者への問いかけなのではないだろうか。
それを踏まえた上でもう一度読み返してみると、子どもたちの反応一つひとつが胸に響く。骨組みだけが残る体育館を前にこわばる顔、呟く言葉。「なんつうのか。なんだろう。」と考え込んで探し当てた、「なんか、残酷だ。」という表現は、きっと子供たちが感じたままの被災地なのだろう。「東京に帰って僕たちが何をすればいいか、全く分かんない。」「自分一人で何かできるわけじゃない。」「このがれきはどうすればいいんだろう。復興というけど、また地震が起きたら?」。その疑問に、読んでいるこちらが考えさせられる。
そして、中でも最も私の印象に残ったのは、「震災って誰も悪くない。きっと、そこが一番難しい。」という台詞だ。その通りだなぁ、と思った。思った瞬間、力が抜けた。誰に責任を押し付けるでもなく、それぞれができることをすれば良いんだと改めて気が付いた。
最後に、「被災地って、子供に見せない方がいい?」という質問に対する一人の少年の回答によってこの記事は結ばれていた。少年はしばらく考え、「いや。」と言った。「テレビで見たとか言っていたけど、何も分かってなかった。自分は来てみて感じることがあった。だから、それはないです。」。彼の発言を信じて、いつか私も被災地に行ってみたいと思う。何年後でも良い。今の東北も、立ち直った東北も、自分自身の目をしっかり聞いて見つめていきたいと強く感じた。
(朝日新聞 8月14日付)
日本中が恐怖と悲しみに包まれた三月十一日の東日本大震災。これまでにない規模の地震と津波の被害で、毎日、新聞を読んでは気持ちが重くなった。それから五ヶ月…徐々に復興し始め、人々に少しずつ笑顔が戻ってきた中、今も連日、新聞に載り続けている問題がある。「原発」だ。原子力発電所の周りの避難区域は広がり続け、牛肉、干し草、野菜、腐葉土などから次々にセシウムが検出された。神奈川県内でも名産の足柄茶が汚染され、目に見えない放射能の恐怖を僕も感じた。
原子力発電に核のエネルギーが使われているという事は社会の授業で習ったから僕も知っていたけれど、人間がそれをコントロール出来なくなってしまうことがあるなんて、想像してもみなかった。日本の技術力は優れていると思っていたし、原発についてあまり深く考えたことがなかったのだ。地震があって、原発事故が起きて初めて、僕たちの「明るくて便利な電気のある生活」が不安定なものに支えられていたのだと知った。そして疑問がわいた。日本は戦争で広島と長崎に原爆を落とされ、核の被害に苦しめられてきたはずなのに、なぜ原発をたくさん造ったのだろう。放射能の恐ろしさは他のどの国よりも知っているはずなのに…。そう考え始めた時、ある新聞記事を見つけた。
その記事は「“被爆国が原発”の論理」について書かれたものだった。そこには「被爆体験が“あったにもかかわらず”原子力を推進したのではなく、むしろ“あったからこそ”進めたのだ」と書かれていた。「日本人は原爆の唯一の被害者だから、平和な原子力を研究する権利を最も持つ」だからこそ「平和利用で」「人が生きる道に使うんだ」と。別の記事には「平和利用への期待は、被爆体験を省みなかったためではなく、苦しみを前向きに乗り越えようとする意思でもあった」と書かれていた。原爆で苦しめられた日本だからこそ、原子力を平和的に利用して豊かに暮らす…それは原子力へのリベンジだったのかもしれない。その記事を読んだ時、僕たちが社会で習った「原爆」という過去の歴史と、現在の「原発問題」がつながり、「歴史と今はつながっているんだ」と改めて感じた。
「原爆被害」という歴史は、現在の原発につながっている。では「原発被害」という現在からは、どんな未来がつながっていくのだろう。それは僕たちにも責任があるような気がしている。今、僕たちができる事は何もないけれど、いつか大人になった時、皆が笑える未来を創れるように…。大切なことは原爆の「歴史」や原発の「現在」をしっかりと知り、向き合うことなのだろうと思う。歴史を学ぶのは未来を創るため、そして同じ過ちを二度と繰り返さないためなのかな…と考えるようになった。そして教科書にまだ載っていない現在進行形の出来事は新聞やニュースで学んでいくのだと思う。新聞は毎日更新される教科書みたいだと最近感じる。
「歴史」があって「現在」があり、「現在」から「未来」は創られていく。「原爆と原発に苦しんだ日本だからこそ、こんなに良い国になった」…そんな未来が来るように、今、自分が学ぶべき事をしっかりと学んでいきたい。未来へ…僕らのすべき事を考えながら。
(朝日新聞 8月3日、6日付)
私が最近読んだ新聞記事の中で、一番印象に残っているのがこの記事だった。私はこの記事を読んで、原子力という恐ろしいものについて改めて考えさせられた。
この記事には、世界各国の日本の原爆と原発に対する考えが書かれており、どの国でもこの二つを関連づけて報じられていた。私はその中の二つの言葉に驚いた。
まず一つめは、イタリアのあるテレビ局の特派員が言っていた「今まで八月はノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキを訴える時だったが、今年からはノーモア・フクシマを加えなくてはならない」という言葉だ。このような考えを私は持っていなかったので、すごく印象強かった。日本では今、福島の原発事故について放射能汚染や検査など、目先のことまでしか考えられていない。しかし世界には、もう繰り返さない、と未来に向けて伝えていこうという考え方が既にあるのだ。被災者の気持ちを考えつつも、それ以外の私達は未来へ伝えていく義務がある。そして、二度と起こさぬような社会を作っていかなくてはならないのだ。あの言葉は、私にこの大切なことを気づかせてくれた。
そしてもう一つは、タイの学生が被爆者の体験を聴く講演で質問した「なぜ被爆国が原発を持っているのか」という言葉だ。私はこの話を聞いて、意表を衝かれたような気がした。これまで日本人は何も気にせず、身の周りに原発があっても普通に過ごしてきた。でも本当は、世界唯一の被爆国として原発を断固反対しなくてはならなかったのではないだろうか。原爆投下から六十六年たったとはいえ、核の恐怖を一番理解しているのはやはり日本人だ。核廃絶のためには、まず日本が努力して恐ろしさを伝えていき、世界に認められる活動にしていくことが大切だ。核の本当の恐ろしさを伝え、世界も核兵器や原発など、原子力を使うことの危険性を知り、自国の状況を見直していってほしい。そして、これ以上被爆者を出さないでほしいと思った。
このように、世界は日本が持っていない考え方をまだ持っているかもしれない。その考え方を取り入れながら、世界が注目するフクシマを少しでも早く復活させ、人の通る町としていくのが“復興”の鍵となるのではないか。そのため、政府はより確実に復興できる計画をたて、私達はそれが進むように募金をしたり、ボランティア活動に参加したりすることが大切になってくる。このように国全体が協力していけば、絶対に復興できると思うし、再び繰り返すこともないだろう。
今回私はこの一つの記事を読んだことで、様々な考え方を知り、自分の考えを深めることができた。色々な人の意見に触れることは自分自身にとってプラスになり、今後生きていく上で糧となると思う。私は普段、気になった記事しか読まないが、これを機に、自分のためにも色々な記事を読んでいこうと思った。
(朝日新聞 8月10日付)