その日の大きなニュースなどと共に一面に載るコラムとは、その新聞社のエースである記者の方々が書く、短い評論や知識を書いた囲みの記事のことです。あまり目立たないため人目につきにくいですが、その内容を読むと世間で騒がれているニュースについて違った見方が出来るようになります。
例えば、現在話題のリビアの大反乱について、一面の大きな記事では、「反体制派が首都を制圧してカダフィ政権が崩壊した」と、他に少しの情報が書かれていますが、コラムではまず「リビアの反体制派の旗とカダフィ政権の旗の違い」から少しずつ本題へ持ち込んでいきます。この余興から本題へいくまでの文章の書き方に感心すると同時に「へえ、こんな見方もあるんだ」と納得しながら楽しく読めることがコラムの良いところだと私は思います。
この各新聞に載っている「コラム」は、どうして休むことなく続けられているのでしょうか。私は初めてコラムを読んだ時から、ずっとその事が気になっていました。
コラムはどんなに大きなニュースが重なって一面に収まり切れなくても、たとえ東日本大震災で一面がそれ一色に染まっても、決して省略されることはありませんでした。その記事を読んでいる人が多いとは限らないのに、コラムを書くことをやめない新聞社、そして記事を書く記者の方々の姿勢に、とても感動しました。
「コラムのどこが記者の方々にとって続けたいと思わせるのだろう」と考えた時、私は「コラムの意味に関係があるのでは?」と思いました。なぜなら、コラムとは「短い評論を書いた囲みの記事」であり、別の言い方で言えば「文字数を守れば、その人の考えをある程度取り入れて書ける比較的自由な記事」だと私は思うからです。他の大きなニュースなどは「新聞社の意見」が強く反映されている場合がほとんどだと思います。記者の方々はあまり個人的な記事は書けないと思うのです。そんな中にコラムのような自由な記事があると、記者の方々も仕事とはいえ息抜きが出来るのではないのかなと思います。
コラムの良い所は他にもあります。個人的に重要だと思うのは、「世間的に重大なニュースなのだが、自分は理解出来ていない時に分かりやすく解説してくれる」ということです。新聞の記事は読みにくい訳ではないのですが、時々難しい文章や内容があり、理解出来ずに読んでいる時があります(特に政治に関する記事は難しい)。そんな時にコラムを読むと、そのニュースが話題になっていて、おもしろい前置きと共に簡単に解説してくれているので、分かりやすく情報が取り込められ、私はとても感謝しています。
「コラムの余興から本題へいくまでの文章の書き方に感心する」と私は前に書きましたが、実はこの「余興」がまたおもしろいのです。基本的に多いのは昔あったことや伝説、物語の説明から始まる場合ですが、物や動物、さらには人物の例えから始める記者の方もいて、最初のころはとても驚いたものです。「まさか、あのニュースをこれに例えるのか!」と驚きつつも感心したことも少なくありません。記者の方々にとって、例えることはそんなに難しくないのでしょうか。少なくとも私はとても難しいと思っているのですが、これがプロのなせる技なのでしょうか。
コラムは目立たないし、大きな記事のようにたくさんの情報は載せられません。しかし記者の中でもベテランの方々が書いている(と、私は思う)ので、とても読みやすく、おもしろいです。とてもためになる情報を得られることも多いので、たくさんの人々に読んでもらい、新聞の良さを改めて実感してくれたらいいな、と私は思っています。
(毎日新聞 8月24日付)
平和とは…。
戦争がない。ご飯が食べられる。家族、友達がいる。安心できる場所がある。など、だいたいの人がこのようなことを思い、誰もがこうでありたいと願うだろう。しかし、この願いが叶えられない場所がある。
アフガニスタン・ガズニ州。記事に書かれているこの地域では日本ではありえないことが起こっている。青少年の自爆テロだ。私とあまり年齢の変わらない子が大人の命令で自爆をさせられるのだ。私は衝撃を受けた。まず一つ目に、私と同じ十四歳の少年が自爆をしようとしているということ。
二つ目に大人が子どもにテロをさせていたということ。
この二つの事実を私は初めて知った。
死にたくないのにやらされる。やらなくても生きていけない。なぜ、私と同世代の子達がここまで苦しまなければならないのか。そしてなぜ、大人の身勝手な理由で子ども達が殺されなければならないのか。多分、これらの原因は世の中の貧富の差にあると思う。日本ではあまり目立たない問題だが、他の国や地域ではこの貧富の差が原因で数多くの人々が悩み苦しんでいる。
私は以前学校の授業で、貧しい子達が暮らす映像をとったビデオを見た。その子ども達は、お金がないので水が飲めないと言っていた。そのため片道一時間もかけて水のある場所まで歩き、自分の家族のために重たい水を運んでいた。しかもその水は決してきれいなものとはいえない不衛生な水だ。しかし、この水がないと生きていけないといい生活用水として使っていた。
私達日本人は蛇口をひねれば簡単にきれいな水を手に入れられる。しかし、貧しい国では、私達の普通が普通じゃなくなるのだ。
今回のこの記事を読み、悲しい反面、少し怒りを覚えた。これだけ子どもは苦しんでいるにもかかわらず、「治安当局にばれにくいから。タリバーン思想を教え込みやすいから。」という理由で大人達がこれからまだ何十年もの命がある子ども達を殺したという事実を知ったからだ。
この貧富の差という問題は私が大人になっても消えないと思う。だからこそ向き合わなければいけないし、目を背けてはいけないのだ。中学生の私ができることは募金という方法しかないが、できることから少しずつやっていきたい。
私は思う。平和とは戦争がない。ご飯が食べられる。家族、友達がいる。安心できる場所がある。それだけではない。世界中の人々が貧富や差別に向き合い、助け合うということではないだろうか。
今日本は、東日本大震災で甚大な被害を受けた。こんな時こそみんなで協力しあい、大きな壁を乗り越えるチャンスではないだろうか。
日本の人達にも世界中の人達にも今一度考えてもらいたい。
「平和」とは何なのだろう。
(朝日新聞 7月15日付)