2010年 第2回かながわ新聞感想文コンクール

中学1年生の部 優秀賞

“戦争遺跡を残す”とは
湘南白百合学園中学校
阿部 みのり

八月に入り、今年も終戦記念日関係の記事が多くなっていた。いくつか興味深い記事があったが、その中で神奈川県内に点在する戦争遺跡を保存していこうと提案する記事を見つけた。
その記事には神奈川県内に残っている戦争遺跡がどこにあるのかがわかる地図と草におおわれた野島掩体壕の写真があった。私は、その地図上にある横浜市に住んでいるが、これらの遺跡が存在することを知らなかった。記者が訪れた横須賀の貝山地下壕のある辺りも横浜の野島掩体壕のすぐ近くにも行ったことがあるのに全く気付いていなかった。
貝山地下壕は、旧海軍が本土決戦に備えて掘った壕だが、工事半ばで終戦を迎えたらしい。貝山緑地の雑草をかき分けて登った丘の中腹に入口があるという。
野島掩体壕は、空襲から航空機を守る格納庫として建設された巨大なトンネルで、今は公園の真ん中にある。保存運動家の訴えによって、昨年、案内板が設置されたそうだ。
終戦から年月が経ち、そのまま残されていた地下壕や戦争跡地は古くなったり都市開発で失われつつあるのが現状だという。そしてそれらを保存していこうと活動している人々のことも記されていた。
この記事を読んだ数日後、私はちょうど明治大学の科学実験教室に参加する予定があったので、今回の記事で紹介されていた、旧陸軍登戸研究所を訪れてみることにした。
高台にある明治大学生田キャンパス内の片すみに、「明治大学平和教育登戸研究所資料館」はあった。
ここは旧日本陸軍が秘密戦に備えて研究・開発を行っていた研究所の跡地にあり、そこで行われていた活動を分かりやすく展示している。
敵国に見つからないように、季節風にのせて飛ばした風船爆弾の模型が資料や説明と一緒に展示されていた。生物化学兵器やスパイ用品を開発していた様子なども分かりやすく解説されていた。どれも高度な技術を必要とするもので、きっととても優秀な人たちが研究・開発に携わったに違いない。でも、それらは人を殺すための技術であり、実際に使用されたのだと考えたら、恐怖と悲しみで胸がいっぱいになった。
このような資料館は決して訪れて楽しい場所ではないと思う。しかし、戦争で何が行われたのか、秘密裏にどんな研究がされていたのかを人々に知ってもらうことが重要であり、それが平和運動のひとつになるのだと思う。
帰宅して、もう一度新聞記事を読んでみた。戦争を語りついでくれる人が少なくなってきて、せっかく残してきた戦争遺跡が失われてしまうことに危機感をもつのは当然だ。しかし、今のように草むらの中で存在を知られずにおいておくだけでは意味がないと思う。せっかく保存するのであれば、できるだけ多くの人に知ってもらい、訪れてもらい、一人一人が歴史と化してしまった戦争を少しでも体感できるような残し方ができればよいと思う。
私は今回、遺跡の一つを訪れることによって、戦争について知らなかった事柄を知ることができただけでなく、戦争は身近な出来事だったと思うようになり、恐怖や悲しみを強く感じた。そして平和な世の中を心から望んだ。
(朝日新聞 8月14日付)


感謝の気持ち、忘れない
鎌倉女子大学中等部
笹森 夏美

「いただきます」・「ごちそうさま」こんなにさりげない一言で、まわりのふんいきが明るくなるにちがいない。そんな言葉が口から自然と出てくれば、言った人も言われた人も心が温かくなる。
それなのに「いただきます」「ごちそうさま」を言わずに給食を食べる、というのはすごくまちがっていると思う。毎日毎日食事を頂けるのは幸せだし、作ってくださった人が手間をかけて作ったものだ。その人への感謝の気持ちを絶対に忘れてはいけない。
「いただきます」だけではなくて、感謝の言葉は沢山ある。自分が相手に何かをしてあげたとき相手から「ありがとう」と言われたら、してあげて良かった、と思うだろう。逆に「ありがとう」と言われなかったら、言ってほしかったな、という思いが残るだろう。このように感謝の言葉をかわせばおたがいが良い気持ちになる。世の中がこの言葉であふれたら、どんなにすてきな事だろう。そうすれば犯罪だってケンカだって無くなるはずなのに。
給食のお金をはらっているのに「いただきます」と言うのはおかしいとは、誰もがあきれてしまうのではないか。「いただきます」という言葉はその食べ物を育ててくれた人・調理してくれた人に言う言葉だ。お金をはらっている・はらっていないという事とは全くの無関係だと思う。親のクレームで笛や太鼓の合図に変えてしまった学校側もどうかと私は疑問に思う。
ある記事にこのようなことが書かれていた。「子供二人が独立して夫婦二人の生活となり食事前に『いただきます』を言わなくなっている事に気づき、ちゃんと言う事になった。『いただきます』以外にも『おはよう』や『おやすみ』など家族四人の頃には自然にしていたあいさつが失われてきている。目に見えないものへの感謝の念を忘れないようにしたい。」という記事だった。たとえ、ずっと言っていなかったとしてもその事に気付き、ちゃんと実行した事に感心した。この夫婦にあいさつのたえない毎日をおくってほしい。
私の家族も楽しい毎日がおくれるよう、あいさつを沢山かわす事を心がけている。「あいさつは心のかけ橋」たがいにあいさつをすれば心と心が通い合う、という事だ。言い忘れていたあいさつは後からでも良いから言ってみる。言わないより言った方が良い気持ちになる気がする。あいさつは最初言っていたものだが、だんだんと言わなくなってきてしまう。この夫婦もまだ子供と一緒に住んでいたころには、しつけのためとちゃんとかわしていたという。あいさつというものは習慣づけないと長続きしないものなのだ。
私は今、中学校で感謝と奉仕の心を学んでいる。日々かわすあいさつはさりげないけれど、難しいものだ。やっぱりずっと言っていなかったら言うのを忘れてしまうし、慣れるのも時間がかかると思う。だけど一人でも多くの人があいさつをかわしてくれたら、私の大好きな日本がもっと明るくなる。私は日本人に生まれてきて良かった。犯罪やケンカはあるけれど、とても優しい国だ。私はあいさつをかわす事を続け、将来は子供にもあいさつのすばらしさを教えてあげたい。
(朝日新聞 8月8日付)

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