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ボランティアスタッフ・高橋宏さん(71)
フロンターレ、ハタチの物語(19)目指せボールパーク

川崎フロンターレ | 神奈川新聞 | 2016年9月15日(木) 02:00

あなたにとってフロンターレを一言で表すと、という問いの答えは「信頼」。クラブ、ボランティア、サポーター、それぞれの信頼関係あってのものとの思いだ
あなたにとってフロンターレを一言で表すと、という問いの答えは「信頼」。クラブ、ボランティア、サポーター、それぞれの信頼関係あってのものとの思いだ

 中原区で写真店を営んでいた。商店街、町内会、子ども会。どこの会合にも、フロンターレのスタッフがいた。「何を頼むでもなく、ただ顔を見せに来る。プロの球団がそんなことするなんて、信じられなかった」

 賀詞交換会にはクラブの社長が来た。「酔っぱらったおやじ連中が言うわけです。『チーム応援してくれって、それは(親会社の)富士通のためにだろう』って」。社長は首を横に振り、地域貢献、地元活性化を粘り強く説いていた。

 「それで決めたんです。60歳で店を閉めたら、このチームを手伝おうって」。主にホームゲームイベントのボランティアを始めた。

 川崎区で育った。福島の農家だった父は、職を求め上京した。子どものころ、大洋ホエールズ(現横浜DeNA)が川崎球場(現富士通スタジアム)を本拠地としていた。父はたまに試合に連れて行ってくれた。でも、好きになれなかった。

 「球場は汚いし、ヤジがひどい。人種差別発言も日常茶飯事。野球は好きだったのに、残念だった」。その大洋も、後を受けたロッテオリオンズ(現千葉ロッテ)も去り、Jリーグのヴェルディ川崎(現東京V)も移っていった。

 友人は言った。「川崎は、文化と娯楽は横浜と東京におんぶにだっこ。それによそ者の集まりだから『俺たちの街』にならない」。別の友人は言った。「大リーグは全然違うぞ。野球を見るだけじゃない。子どもが一日中遊べるんだ。ボールパークなんだよ」。家族が楽しめる、地域の遊園地みたいな場所。いいなあと思った。

 フロンターレの手伝いを始めて驚いた。「まさにボールパークをつくろうとしていた。プロスポーツはこうあるべきだと、本当に感動した」。それを進化、深化させようと今も汗をかく。

 娘2人もサポーターになった。アウェーゲームには孫を含め親子3代で駆けつける。地元のクラブは家族をもつなげてくれている。

 「自分にとってフロンターレはリベンジなんです。プロが根付かなかった歴史、そうしようとしなかった球団、そんなものを変えたいと」。自分たちは地方から移り住んだ1世2世だった。その元で育った3世4世は、きっと川崎を「おらが街」と愛してくれる。フロンターレはその結節点になると、信じている。

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